ほぼフィクション?「関ヶ原の戦い」ざっくり解説 2023年のNHK大河ドラマは「どうする家康」
一番槍は武士の誉。これほど大きな戦いにおいて、その名誉を徳川家以外の者に持っていかれたとあっては末代までの恥。さらに、豊臣系武将で固められた東軍で先陣の手柄まで譲ってしまえば、戦後ますます彼らの力が大きくなってしまう。それだけは避けねば。と、考えた直政の「一番槍は徳川が」という強い思い(ぶっちぎりの軍法違反)が引き金となり、関ヶ原の戦いは突然のスタートを切ったのでした。
石田三成の狼煙に反応しない西軍
両軍入り乱れての激しい戦闘が繰り広げられる関ヶ原の地。ですが、戦いから2時間以上経過したのちも決着がつきません。
しかし、あえてこのとき有利だったほうを選ぶとするなら……西軍と言っていいでしょう。なぜなら西軍は、万を超える兵力を擁した部隊がいまだ戦闘に参加しておらず、戦力を温存した状態にあったからです。
石田三成「狼煙を上げろ! 南宮山にいる毛利・吉川、松尾山の小早川に合図を送れ!」
毛利、吉川、小早川、始動。三成が上げた狼煙をきっかけに、約1万6000の毛利・吉川隊と、約1万5000の小早川隊が……まったく動きません。
三成「あれ」
〝戦〞というのは干戈(かんか)を交える(交戦する。戦争をする)ことのみを指した言葉ではない、ということですね。戦場で相まみえる前の準備がいかに大切か。
西軍の頼みの綱であった両氏は、黒田長政などを通じて家康に内通。戦いが始まれば東軍側につくことを約束していたのでした。
毛利秀元「おい! 狼煙が上がったぞ! 出陣の合図だ!」
吉川広家「……」
ただ、西軍の総大将・毛利輝元の代理で参陣していた毛利秀元(輝元の従兄弟で元養子)と吉川広家(輝元の従兄弟)のうち、東軍と内通していたのは吉川広家だけです。
彼は戦闘が始まっても毛利の軍を動かさない事を東軍に告げ、代わりに毛利家の本領安堵(持ってる土地はそのまま)という密約を取り付けていたのですが、そんなこと毛利秀元は露程も知りません。