32歳がんで逝った母が娘に残したノートの正体 双子の娘への「だいすきノート」を手にした経緯

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抗がん剤治療の後、明治神宮外苑のイチョウ並木を背景に自撮りする、こうめいさんとみどりさん(写真:田村建二『2冊のだいすきノート』(光文社刊)口絵より)
ステージ4の「スキルス胃がん」が発覚して、32歳の若さで亡くなったみどりさん。医師から病名が告げられたとき、双子の娘「もっちゃん」「こっちゃん」はまだ4歳でした。がんと診断され最期をむかえるまでに、夫の「こうめいさん」ら家族は何をどう選択したのか、双子の娘に残した2冊のノートはどのようにして書かれるに至ったのか――。朝日新聞の田村建二記者による著書『2冊のだいすきノート ~32歳、がんで旅立ったママが、4歳の双子に残した笑顔と言葉~』より一部抜粋してお届けします。
前回記事:32歳「スキルス胃がん」の母親が娘に宛てた手紙

イチョウ並木

2019年11月が終わるころ、こうめいさんは、それまでたまっていた有給休暇を使って仕事を休み、みどりさん、もっちゃん、こっちゃんのお世話に専念するようになった。

えつこさんも埼玉県の実家から頻繁にこうめいさん宅に通い、2人の幼稚園への送り迎えや家事を分担した。週末にはよく、のりあきさんのクルマで2人を実家に連れて帰り、遊び相手をした。こうめいさんの母も月に2回ほどの頻度で香川県からやってきて、数日間滞在した。そうして、こうめいさんがゆっくり、みどりさんのケアにあたれるようにした。

みどりさんは週に1度、抗がん剤治療を受けるため、こうめいさんの運転するクルマで慶應義塾大学病院に通院した。それは、こうめいさんとみどりさんが、2人になれる時間でもあった。

12月5日、都心は晴れていた。最高気温は平年をやや上回る14.5度。お昼近く、こうめいさんとみどりさんは、明治神宮外苑の通りを歩いていた。イチョウの葉が黄色く輝き、目の前をたくさんの人たちが行き交った。

神宮外苑は、慶應義塾大学病院からほど近い。朝、クルマで病院に着こうとしたとき、こうめいさんが車窓の向こうで色づいたイチョウに気づき、「きょう、もしも点滴が早く終わったら、イチョウ並木を見に行こうよ。体調がよければ、だけどさ」と、みどりさんを誘ったのだった。

「そういえば、イチョウに縁があるよね」

点滴を終え、2人でイチョウ並木を歩きながら、そんな話をした。2014年の新婚当時、赴任していた福島県いわき市内に、イチョウのきれいなお寺があり、結婚式を挙げた横浜市の式場近くにもイチョウ並木があった。香川県の実家の真ん前にも、6本の大きなイチョウの木が立っていた。そんなことを話しながら、神宮外苑をゆっくりと歩いた。

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