32歳「スキルス胃がん」の母親が娘に宛てた手紙 iPadには「退院したらやりたいことリスト」

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痛みに苦しんでいたみどりさんは、慶應義塾大学病院に移ってすぐ、モルヒネの点滴を受けた(写真:田村建二『2冊のだいすきノート』(光文社刊)口絵より)
ステージ4の「スキルス胃がん」が発覚して、32歳の若さで亡くなったみどりさん。医師から病名が告げられたとき、双子の娘「もっちゃん」「こっちゃん」はまだ4歳でした。がんと診断され最期をむかえるまでに、夫の「こうめいさん」ら家族は何をどう選択したのか、双子の娘に残した2冊のノートはどのように書かれるに至ったのか――。朝日新聞の田村建二記者による著書『2冊のだいすきノート ~32歳、がんで旅立ったママが、4歳の双子に残した笑顔と言葉~』より一部抜粋してお届けします。

前回記事:32歳がんで逝った母親が双子娘に遺した生き様

ママがはやくよくなりますように

入院したみどりさんは、スタッフから手渡された抗がん剤治療の手引を、熱心に読んでいた。さっそく始まった抗がん剤治療では、どんな薬を使うのか、どんな副作用が起きうるのか、対策のためどんなふうに過ごすべきなのか、といったことがまとめられていた。

抗がん剤をうったら、体を病原体から守る免疫機能が下がる、ともあった。だから、点滴を打ってすぐの間は、こうめいさんから「売店まで一緒に行く?」と誘われても、がまんして病室をあまり出ないようにした。ふだんだったら問題とならないようなウイルスや細菌に感染し、体調を崩す恐れがあるためだった。

もともと好きではなかったマスクもつけるようになった。寝るときもなるべく外さないようにした。新型コロナウイルス感染症が流行し、だれもがマスクをして街を行き交うようになるのは、まだ先のことだった。

体調をできるだけ整えて、毎週の抗がん剤をしっかり乗りきろう─。

こうめいさんには、みどりさんが治療の完遂を第一に、前向きになっているように見えた。

みどりさんの体の痛みは、転院してからのモルヒネが効いているらしく、以前よりもだいぶおさまっていた。点滴のバッグに装置がつながり、痛いと感じたときに装置のボタンを押すと、追加のモルヒネが注入されるしくみも導入されていた。眠る前にボタンを押して寝床につくと、以前より眠れる時間も増えた。

食欲が少しずつ出てきて、スープやゼリーなどを口にできるようになった。ただ、胃の出血はまだ続いているらしく、胃を保護する薬を食間に飲んだ。輸血をして、失われた分を補うこともあった。

工場エンジニアであるこうめいさんは、週に2日は在宅勤務にし、幼稚園に通うもっちゃん、こっちゃんのお弁当づくりを始めた。

いり卵に、鶏そぼろ。ウィンナーの先端に切れ目を入れてタコの脚のようにして、頭の部分に切り抜いた塩昆布を貼りつけ、目がついているように見えるようにした。白ご飯と味のりで、しろくまを形づくったりもした。それまでは、みどりさんに任せきりだったが、こうめいさんは独身時代、自炊をしていたこともあって、お弁当をつくること自体はさほど苦にはならなかった。

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