冊子は、この年の5月に、国立がん研究センター中央病院緩和医療科のグループが、がんの親と子を支援するためにつくったものだった。グループはこの冊子のことを「だいすきノート」と呼んでいた。
冊子は、がん治療のために入院するなどした親が、子どもに対してなかなか伝えにくいメッセージを、書き込んでもらうことを想定して作成されていた。
書き込む内容は自由だ。がんになったことで、子どもの授業参観に行けなくなったり、週末に外で一緒に遊べなくなったりした親が、子どもに対して「ごめんね」を伝えるために使われることもあるのだという。
そして、がんで旅立っていく親が、子どもへの思いを書き残すこともあった。近藤さんはノートのことを、子どもたちを支える目的の院内のグループ「SKiP KEIO」のメンバーでもある医療ソーシャルワーカーから聞き、病院側の予算で購入してもらって、腫瘍センター内に常置していた。ただこれまで、近藤さんの手から患者にこのノートを実際に手渡したことはなかった。
「渡すなら、いまだな」
近藤さんは、いつかみどりさんにこのノートを渡したいと、ずっと以前から考えていた。そして、最近の状況から、「渡すなら、いまだな」と判断した。
みどりさんは、自身のがんがステージ4であること、最初に受けた抗がん剤が期待したほどには効果を示していないことを知っていた。
近藤さんから見て、みどりさんは、とても聡明な女性だ。だから、自身の置かれた状況を理解し、葛藤しながらも、これから起こってくるであろう状況について、考えることができるはずだと思っていた。
そして、自発的に、「子どもたちにメッセージを残したい」と考えるようになるかもしれない。そのときに活用してもらえたらいい。
みどりさんの体調は、いまは比較的、落ち着いているようにみえる。ただ、いつ急激に悪化しないとも限らない。いざ、メッセージを残したいと思っても、そのときには書き込む元気すら残っていない可能性もある。そうなってからでは遅い。近藤さんとしては、いつも少し先の状況を考えながら、それに備えて動く必要があった。
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