32歳がんで逝った母が娘に残したノートの正体 双子の娘への「だいすきノート」を手にした経緯

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ただ、冊子を手渡すときも、近藤さんはみどりさんに書き込むことを説得したり、強くすすめたりすることはしなかった。本人にその気がなければ意味はないし、かえって本人を追いつめてしまう恐れもあるからだ。

実際、みどりさんは治療に前向きで、自身の死について近藤さんに語るようなことはなかった。こうめいさんら家族からも、「本人がこれからのことを、どのように考えているのか、わからない」と聞いていた。ノートをどうするか、みどりさんの考えに任せよう、と近藤さんは思った。

イチョウ並木の散歩を終え、帰宅したみどりさんは、さっそく幼稚園から帰ってきたもっちゃん、こっちゃんと一緒に、だいすきノートのシール貼りをした。でも、メッセージの書き込みはしなかった。

こうめいさんは、このノートを病院でもらったことを、みどりさんを支える家族のグループLINEに書き込むことは控えた。もしみんなに知らせたら、書き込みをどうするべきかをめぐって、またいろいろな議論が巻き起こってしまう。そうしたことはちょっと、いまは避けたいなあ、と思った。

目標の1つだった幼稚園のお遊戯会

12月10日、横浜市のみなとみらい地区のホールで、幼稚園のお遊戯会があった。これを見に行くことも、退院してからのみどりさんにとって目標の1つだった。

もっちゃん、こっちゃんはホールのステージ上で、「ドラミちゃん」のダンスを踊ることになっていた。みどりさんは控室で着替えを手伝い、出番を待つフロア席まで、両手で2人の手をとって歩いた。

そして、ステージ上で2人が踊る様子を、香川県の実家からやってきたこうめいさんの母とともに、家族用の特別席で見つめた。こうめいさん、叔母たかこさんは客席に分散して座り、それぞれの位置からカメラを構えて動画や写真を撮った。

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年少であるもっちゃん、こっちゃんの出番は午前中に終わったが、「年長さんたちの劇も見たい」と2人は希望した。年長さんの出番を待つお昼休み、こうめいさんと、みどりさんの母えつこさんは、近くのコンビニまで昼食用のおにぎりを買いに行った。

歩きながら、こうめいさんは、「こんな穏やかな時間が、ずっと続いていくような気がします」と言った。

「うん、私もそう思う」

えつこさんも笑顔でうなずいた。こうめいさんの母はこの日、香川県の実家に帰る前に、ホール近くの花屋さんで花束を買ってくれた。

鮮やかな赤と黄色、それにピンク色のバラをもっちゃん、こっちゃんに。ピンクのガーベラを、ガーベラの好きなみどりさんに。「お遊戯会、お疲れさま」の気持ちを込めた。

田村 建二 朝日新聞記者

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たむら けんじ / Kenji Tamura

1967年、神奈川県川崎市生まれ。1993年、朝日新聞社入社。福井支局、京都支局(いずれも現総局)を経て、東京科学部に所属。その後、名古屋社会部、大阪および東京の科学医療部、医療サイト「アピタル」編集長などを経て、2022年4月から東京くらし報道部に在籍。編集局編集委員。生殖医療、いわゆる生活習慣病、がん、遺伝子診療などの分野を担当し、新型コロナウイルス感染症の取材にも関わる。
Twitter @tamurak4

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