ただ、冊子を手渡すときも、近藤さんはみどりさんに書き込むことを説得したり、強くすすめたりすることはしなかった。本人にその気がなければ意味はないし、かえって本人を追いつめてしまう恐れもあるからだ。
実際、みどりさんは治療に前向きで、自身の死について近藤さんに語るようなことはなかった。こうめいさんら家族からも、「本人がこれからのことを、どのように考えているのか、わからない」と聞いていた。ノートをどうするか、みどりさんの考えに任せよう、と近藤さんは思った。
イチョウ並木の散歩を終え、帰宅したみどりさんは、さっそく幼稚園から帰ってきたもっちゃん、こっちゃんと一緒に、だいすきノートのシール貼りをした。でも、メッセージの書き込みはしなかった。
こうめいさんは、このノートを病院でもらったことを、みどりさんを支える家族のグループLINEに書き込むことは控えた。もしみんなに知らせたら、書き込みをどうするべきかをめぐって、またいろいろな議論が巻き起こってしまう。そうしたことはちょっと、いまは避けたいなあ、と思った。
目標の1つだった幼稚園のお遊戯会
12月10日、横浜市のみなとみらい地区のホールで、幼稚園のお遊戯会があった。これを見に行くことも、退院してからのみどりさんにとって目標の1つだった。
もっちゃん、こっちゃんはホールのステージ上で、「ドラミちゃん」のダンスを踊ることになっていた。みどりさんは控室で着替えを手伝い、出番を待つフロア席まで、両手で2人の手をとって歩いた。
そして、ステージ上で2人が踊る様子を、香川県の実家からやってきたこうめいさんの母とともに、家族用の特別席で見つめた。こうめいさん、叔母たかこさんは客席に分散して座り、それぞれの位置からカメラを構えて動画や写真を撮った。
年少であるもっちゃん、こっちゃんの出番は午前中に終わったが、「年長さんたちの劇も見たい」と2人は希望した。年長さんの出番を待つお昼休み、こうめいさんと、みどりさんの母えつこさんは、近くのコンビニまで昼食用のおにぎりを買いに行った。
歩きながら、こうめいさんは、「こんな穏やかな時間が、ずっと続いていくような気がします」と言った。
「うん、私もそう思う」
えつこさんも笑顔でうなずいた。こうめいさんの母はこの日、香川県の実家に帰る前に、ホール近くの花屋さんで花束を買ってくれた。
鮮やかな赤と黄色、それにピンク色のバラをもっちゃん、こっちゃんに。ピンクのガーベラを、ガーベラの好きなみどりさんに。「お遊戯会、お疲れさま」の気持ちを込めた。
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