世界の食卓を大きく変えた日本発の技術 魚群探知機のルーツを知っていますか
富一郎は、魚群探知機を作ろうとする古野兄弟の夢に懸けてみることにした。
こうして古野兄弟と桝富丸の挑戦が始まったが、魚群探知機は依然として思うように魚の群をとらえられずにいた。
世界の食卓を大きく変えた古野兄弟の夢
そんなある日のこと、兄弟はついに魚の群れをうまくとらえられない原因を見つけ出した。漁船が進む際に発生する泡だ。泡は破裂する際に超音波を出すため、これに反応することで、魚群探知機の精度が低下していたのだ。
泡の影響を回避するためには、漁船の側面に取り付けていた探知機を、船底に取り付けることが必要だった。
「船に……穴ばあけろって、言うとですか?」と、絶句する富一郎。漁師の命である船に穴をあけるなど、とてもできる相談ではなかったのだ。
しかし、これ以外に方法はないと、古野兄弟は懇願する。その強い気持ちに動かされた富一郎は覚悟を決めた。
「あんたの夢に懸ける。必ず最後までやり遂げてくれんね」
魚群探知機を船底に取り付けた「桝富丸」は沖へと走り出した。しばらくすると、魚群探知機は魚の群れがいることを示し始めた。しかし、弟の清賢は不安を拭えずにいた。魚の群とクラゲの大群を間違えてしまった時の記憶がよみがえっていた。
しかし、魚群探知機は魚の大群がいることを引き続き示していた。清賢は意を決して、桝富丸の漁労長に告げた。
「大群です。とてつもなか大群です!」
その言葉に漁労長は、「打とう、網ば打とう!」と決断を下す。魚群探知機の命運を左右する網が打たれたのだった。
「頼む、頼む、頼むばい…」。祈るように海を見つめる清賢。やがて、ゆっくりと網が引き上げられ始める。
引き上げられた網を見た清賢は興奮した。網は大量の魚であふれていたのだ。大漁旗を掲げて戻ってきた「桝富丸」に、港は歓喜に沸いたという。
魚群探知機の力は抜群で、これ以降、桝富丸は漁に出るたびに大漁を記録し、「ドンビリ船」と呼ばれた桝富丸は、漁獲高トップの座についた。古野兄弟が魚群探知機の開発に乗り出してから4年の歳月が流れていた。
食糧難に苦しむ人々に、安くて新鮮な魚を届けたい。古野兄弟の夢は実現し、実験成功から7年後に海外へ向け、魚群探知機の輸出を開始する。
世界中の漁船から釣りの愛好家に至るまで、広く普及している魚群探知機。これがなければ一般家庭や飲食店などで、今のように魚を食べることは難しかったかもしれない。夢を追い続けた古野兄弟と、彼らを支えた人々の熱い思い。そこで生まれた日本発の魚群探知機が世界の食卓を大きく変えたといっても過言ではないかもしれない。
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