もし紫式部が道長を恋愛的な意味で「お花くれた!すてきっ(ハート)」と思っていたならば、「恥づかし」というだろうか。
もっと「あはれ」とか書くのでは? でもやっぱりその姿がちゃんとしていてよいものだった、プラスの評価をしたいから「恥づかし」と書いているんだよね? などさまざまな解釈が考えられ、紫式部の感情を読み取ることが難しい、何とも微妙な語彙なのである。
どちらかというと紫式部は、自分の朝起きたばかりの顔のひどさ――当時彼女は立派な30代女性である――が恥ずかしかったらしい。道長に対しても、自分の老いを自虐するような和歌を贈る。ちなみに女郎花は夏から秋にかけて咲く花で、「女」という漢字がついていることから、和歌では女性にたとえられることが多いのだ。
ツッコミを入れたくなる道長の返答
そんな自虐する和歌に対し、道長は「そんなこと言わないでよ!」と歌を返す。が、この和歌がまた、現代の感覚からすると腹が立つ返答なのだ。
道長の詠む「白露は分きても置かじ」というのはつまり、「あなたみたいな歳の人にも、そうじゃない歳の人にも、みんなに平等に露は降って来る=男性は声をかけますよ」という意味。
ちなみにこの「露」とは、「女郎花に降る露」でありながら、同時に「男性が女性を誘うこと」ということの喩えでもある。前の和歌で紫式部が使っていた比喩だ。だから、暗に道長は「あなたのことも平等に誘うし、その気になってよ!」と誘っているのである。
しかし、考えてみれば腹の立つ言葉である。分きても置かじじゃないよ、ちゃんと分けて置けよ!! 私からするとツッコミを入れたくてしょうがない。だって道長は、あなただけを誘うというのならともかく、誰でも私は誘いますよ、と言っているようなものだ。「歳をとったあなたでも私は誘いますし、その気になってよ」という上から目線のニュアンスも漂う。
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