息子の様子を見て心配になった両親は、児童専門の精神科で診てもらうことを選択、北条さんも小児性うつ病という診断を受けた。
「当時は家のカーテンを閉め切って、外に出歩くことにすら抵抗感がありました。家族それぞれ病院に行く以外に外出の用事はないですからね。それで、通院を続けなければならない状況になったのですが、両親の症状もどんどん悪化していき、結局病院通いすらできませんでした」
義務教育にもかかわらず、小学校には通うこともなくなった北条さん。そもそも、家族のほとんどが寝たきりだったため、働ける者すらもいなかったという。
「父はもともと会社勤めでしたが、うつ病が進行してしまい、ついには会社に行けなくなってしまいました。そのため、父の退職金、失業手当、それと両親の障害年金、さらには祖父母の年金ぐらいしか収入はありませんでした。
家はもともと祖父が建てた一軒家があったのでそこに中学までは住み続けられましたが、いよいよお金がなくなると、家と土地を売ってその後シェアアパートに引っ越しました」
こうして、不登校のまま小学校と中学校を卒業した北条さん。実質通っていた年数は合わせて4年程度だったという。通ってはいなかった中学校を卒業するタイミングで、祖父母が相次いで亡くなる。
昼間は勉強して夜は高校に毎日通い、皆勤賞まで
そんな環境を変えるため、高校に進学したかった北条さん。だが出席日数は1桁で、評定平均もオール1だったため、とてもじゃないが全日制高校に入れる雰囲気ではなかった。そこで、中学校の先生と相談して、定員割れを起こしている夜間の定時制高校に通うことになった。
「15歳で進学か就職という選択肢を選ばなくてはならなくなったわけですが、今まで引きこもっていたので、急に社会に出るのはハードルも高かったので、結局、不登校になっていなければそもそも行く必要はなかった定時制高校に進みました。在学時には貸与型の奨学金を70万ほど借りて、生活費と学費を補っていました」
しかし、ここで北条さんの人生に大きな変化が生まれる。昼間は勉強して夜は高校に毎日通い、皆勤賞まで取った。評定平均は3年間で4.9。中学時代の成績がオール1だった彼は、何がきっかけで変わったのだろうか?
「高校に入ってから自分の中で何かが急に変わったとか、目覚めたという感覚はありませんでした。ただ、家族のことで定時制高校を選んだ時点で、自分には『人生底までついたな』という実感があって……『もし退学になれば、いよいよ後がない』『そうなれば、自分だけではなく、家族も含めて死ぬんだろう』ということが、リアルな感覚として想像できたのが大きかったと思います。
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