看護界の重鎮が91歳で新雑誌を創刊した切実事情 看護師を"ミニドクター"にすることへの疑問

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川嶋:新雑誌の創刊は、看護専門の出版社「看護の科学社」が出版不況で倒産し、46年間続いた『看護実践の科学』が廃刊に追い込まれたことによります。

そこで編集委員有志らがクラウドファンディングで資金を集め、新たに創設した新社が、看護の総合雑誌を刊行する運びになりました。多くの皆さんの新しい雑誌への期待に応えなければなりません。何年も続くよう、背筋が伸びる思いでいます。

川嶋先生と看護の世界との出会い

──1931年生まれの川嶋先生は戦時下に育ち、一家は1946年に中国から故郷の島根県に引き揚げました。家計を考え、幼い頃からの願いであった、当時大学に併設された医学専門学校に進学したいと言い出せず、高等女学校卒業後、月謝不要(当時)、寄宿舎完備の日本赤十字女子専門学校に入学。空襲の焼け跡が残る東京で看護師を目指しましたが、看護の世界に魅了されたのは、実際に働き始めてからだそうですね。

川嶋:卒業後、同じ敷地内の日本赤十字社中央病院(現在の日本赤十字社医療センター)で働き始め、小児病棟に配属され、間もなくトシエちゃんという9歳の女の子が入院してきました。トシエちゃんの背中には悪性腫瘍ができていて、死を前にしたお年寄りのような雰囲気で衰弱し、脈も弱々しくなっていました。食べることができず、ビタミン剤入りのブドウ糖液で命をつないでいました。

私が働き始めてまだ10日、何をしていいのかわからず、全身が垢だらけだったトシエちゃんの身体を1週間かけて丁寧に拭いていきました。肌がきれいになると少女らしくなり、それまで食事をまったくとらなかったトシエちゃんが、「看護婦さん、お腹空いた」と言うのです。おかゆを作ってあげると、3口ほど食べてくれました。すると微弱だった脈が正常になって、それから3カ月余り、9歳の女の子らしく生きることができました。

もしあのときに身体を拭いてあげず、食べないままだったら1週間くらいで亡くなっていたのではないかと思うのです。看護の力って、なんてすごいのだろうと思いました。

それからしばらく経って、ナイチンゲールの書物と出会って初めて、「安楽とかいうものは、それまでその人の生命力を圧迫していたあるものが取り除かれて、生命がふたたび活き活きと動き出した徴候」という考えを知り、トシエちゃんへのケアと通じたのです。

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