「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点 かなり根が深い「想像力欠乏」状態の蔓延
例年どおり、環境団体やメディアはCOPで発表される各国の削減目標の数字に一喜一憂し、合意到達を一定成果と評して終わるのだろう。だが、そのような協定や条約、目標などに踊らされても、現実は何も変わらない。
別に絵にトマトスープをかけても直接的には気候変動は止まらないと私も思う。けれども、私と同じようにドイツでヘーゲルを学んだ土方定一がいくら優秀な美術史家であったとしても、米津知子や障碍者へ思いを馳せることなく冒頭の冷笑的な言葉を吐いたような、マジョリティーの優位に安住する人間にはなりたくない。
気候正義の理念にのっとった選択肢は「ボイコット」
結局、気候正義の理念にのっとった選択肢は、アラーたちと連帯してCOP27をボイコットし、大失敗させることだったはずである。だが、そうはならなかった。それほど、想像力欠乏状態の根は深い。
必要なのは、学び続け、間違っていたら訂正すること。だから、アラーの苦しみを知った今、私はアラーたちのために必死に声を上げたい。
それでもまだ、そんな遠い国のことはその国で解決すればいい、国際社会より自分たちの身の回りを、という人たちも少なくないかもしれない。
しかし、身近なところでも、ウクライナの戦争で小麦や化石燃料が値上がりし、インフレが経済的弱者を襲っている。私たちの生活は国際社会と切り離して考えることはできない、ということを、私たちはすでに身をもって体験しているはずだ。
学ばない社会の代償は、これからの気候危機の時代、日本でももっと大きなものになるに違いない。(文中敬称略)
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