「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解せぬ日本の欠点 かなり根が深い「想像力欠乏」状態の蔓延
世界では大きな転換が起き、その動きは今後Z世代が社会の担い手になるなかで加速していく。大変革の動きから取り残されれば、もはや日本は先進国とはいえなくなる。いま国内で多少マジョリティーとして安心した生活をしていたとしても、このままでは、その生活の維持すら危うい。
ここまでの話を、私というマジョリティーによる上から目線に感じたら申し訳ない。実際には、私だって想像力がまだまだ全然足りないのだ。そのことを痛感する出来事があったので、懺悔的に記しておきたい。
今月6日の日曜日にエジプトで開幕したのが、気候変動対策について世界の首脳級が集まる重要な国際会議、COP27だ。京都議定書やパリ協定も、このCOPで締結されている。また、近年では、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリを中心に若者たちが声を上げる抗議活動も、COPで盛り上がりを見せている。
「気候正義」という考え方
今回も、日本から10代から20代の若者たちのグループ「Fridays For Future Japan」がCOPに参加するために、クラウドファンディングを実施した。私は彼らの掲げる「気候正義」の理念に賛同して、応援のコメントを寄せ、自分でもお金を出して支援した。
「気候正義」という考えは、気候変動問題に取り組む際に、最も被害を受けてきた人たちに適切な補償や賠償を行いつつ、彼らがさらなる不利益を被らないように対策を行おうというものである。
例えば、先進国が電気自動車や蓄電池を作るために、南米やアフリカのリチウムやコバルトの資源を独占したり、富裕層に有利な環境助成金を出したりことは、経済的観点からは「効率的」だとしても、気候正義の観点からは問題含みである。なぜなら、これまでさまざまな被害を受けてきた途上国や国内の社会的弱者の苦しみを学び、共に考えることが不可欠だからである。
さて、「気候正義」という観点からすると、多くが未成年でまだ選挙権がなく、政治の意思決定にかかわれないが、今後気候変動の影響を大いに受ける日本の若者たちも「弱者」である。だから、私は彼らと連帯したいと思った。
だが、弱者は、身近な付き合いのある若者たちだけではない。私はエジプトで暮らす、ずっと厳しい状況に置かれている人々のことをもっと考えるべきだったのだ。
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