もっともアメリカ人にはわからない、もつれたしがらみが両国にはあるのですが、政治や歴史に無知な人ほど、このしがらみに縛られる傾向にあるのは滑稽なことです。
千恵子さんの話に戻りますが、娘の恵美ちゃんはそれ以上の理由を言わないそうです。親である自分たちに気付かない非があるなら言いなさい、と聞いても、それはないと言うばかり。恵美ちゃんは最近の嫌韓ムードや、ヘイトスピーチの怖い言葉から子どもを守りたいと思い始めたのかもしれない、と想像したりするそうですが、継雄さんとはそれ以上は話し合えない状態だとか。
このような表現が適切かどうかわかりませんが、私の子どもたちの進学先を見ても、偏差値の高い進学校ほど、在日コリアン、在日コリアンと日本人のダブルであることをオープンに名乗り、それを自然に受け入れる周囲の環境がありました。
在日コリアンと結婚した日本人、アメリカ人・フランス人・イギリス人を知っていますが、その知的で誠実な伴侶たちは、妻のルーツや文化を尊重するのをとおり越して強い関心と愛情を持ち、生活の中にどんどん取り入れています。そして伴侶という立場以上に、その愛妻のルーツとなる文化に精通し、楽しんでおられるのを見て感心した経験は数えきれません。人を大切に思うということは、その人のルーツ・文化・風習も含めて大切にすることなのだと教えられます。
ルーツを隠して育てた子どもが失う「自信」
そのような経験を千恵子さんに語りながら、私は次のように話しました。
「自分の妻のルーツを恥じる継雄さんと、(今は棚上げにできているが)自分のルーツを恥じられた恵美ちゃんの夫婦仲が、このまま永遠だとは思えない。
自分たちのもうひとつのルーツを隠して育てられる孫たちは、一生隠し通せたとしても正常ではない育ち方をしたことになる。まして途中で知った時、そのまま本人の意思でもうひとつのルーツを否定して生きるなら、人間関係のほかにも、ことごとく小さなウソをつくことになり、それは積り積もって大きなウソにつながり、ゆがんだ人格を形成することになる。結果的に自信のない子になるケースが多く、母親を軽んじる子になるかもしれない。
ダブルと知って、本人の意思でその両方を大切に生きる道を選ぶなら、初めからそうするほうが自然だし、そこから学ぶ世界や価値観は計り知れないものがある。誠実に自信を持って生きるという意味でも、とても大切なことだ」、と。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら