稲田:私の本『映画を早送りで観る人たち』では、若者たちが評論をあまり読まないことに触れていますが、これも「対立を好まない」ことの表れだと思います。評論というのは作品に対する異議申し立てや批判も含みますから、当然、その作品を支持している人との対立を招く。そもそも、何かに対してわざわざ挙手して反論するのは、非常に目立つ行為ですし、その反論に責任を持たなければなりません。そんなもの担いたくないし、自分が支持しているものにケチをつけられるのも不快だと。
金間:批判するのも、されるのも嫌なんですね。
稲田:こうなった原因のひとつに、教育があると思っています。近年の公教育は、「他人の意見を尊重しましょう」という協調性を重視してきました。多くの子供たちはこれを「他人が述べた意見に水を差すのはよくない」と解釈する。結果、異議は申し立てず、テンプレ的に「いいね」と言っておくのが得策、ということになりました。
金間:本来、ディスカッションやディベートはそういうものではないんですけどね。
稲田:「他人の意見を尊重」と「異議」は両立できるはずですが、ディベートを体系的に学ばせる授業は少ない。結果、反対意見は単なる「いちゃもん」「文句」となってしまう。与党支持もそうじゃないですか。「国のために頑張っている人に、文句を言うなんてひどい」。その先にあるのが、「政権を担ってもいないのに、外野から文句ばっかり言う人たち、ひどい」でしょう。
若者は大人のコピー
金間:テンプレ通りにすれば安全、という空気は、ゆとり教育時代の後に醸成されていったと思います。その頃から「総合学習」と銘打ち、小学校からアクティブラーニングが行われるようになったんですよ。個にフォーカスした経験・体験を重視しましょう、そして個を重視しつつ、みんなの経験を合わせてチーム一体となって課題を乗り越えていきましょうという内容です。
稲田:その狙い自体は、すごくいいですよね。
金間:ただ、実際に教室でお互いの体験を語り合おうとすると、そこは小学生ですから、人の話にちょっと変な反応をしたり、順番を飛ばして話してしまったりもする。先生としては、それを放置しづらい。「今どうして順番を飛ばしちゃったのかな」と注意する。その注意を児童たちはちゃんと聞いていて、「こういうことをやれば、先生は納得し、クラスの空気はよくなり、自分の評価が上がる」というテンプレを学習するわけですね。こうした学校教育が、相対的にいい子症候群を形成してきたと思っています。