「裸のムラ」が描く車中泊一家に流れる忖度の空気 自由な生き方に見える家族が抱える大きな問題

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━━五百旗頭さんは、もちろんそこは意識して使われているのですね。

もちろんです。あれはないなあ、と思いましたから。でも、そのときのユイちゃんの表情が『またかあ』だったんですね。あの表情にすくわれるというか。そんなお父さんをおちょくる感じもあったので。

じつはそれまで悲壮感があったんですよ。ユイちゃん、大丈夫かなぁという。でも、あのときはすごく明るかったので。これが親子、家族なのかなぁという救いを見たように思いました。だからこそあのシーンを終盤に使いました。

━━なるほど。映画の続きをもうすこし見ていたいというのがありました。

そう思ってくれたらいいなあというのはありました。ストンと落ちるよりも、余韻を残すというのか。結局この作品のひとつのテーマは、ループなんです。同じことを繰り返しているものを描いている。あのラストカットはその象徴なんですよね。ただ、家族はこういう父親を許して前に進んでいくんだろうという救いがあって。そこは政治とはちがうところですよね。

五百旗頭監督
五百旗頭幸男(いおきべゆきお)/1978年兵庫県生まれ。テレビディレクター。同志社大学文学部社会学科卒。チューリップテレビ(富山県)で17年、富山市議会の政務活動費不正問題を追ったドキュメンタリー番組「はりぼて 腐敗議会と記者たちの攻防」(日本民間放送連盟賞優秀賞など受賞)。20年、映画『はりぼて』(砂沢智史と共同監督)が劇場公開。20年、石川テレビに転社。21年「裸のムラ」、22年「日本国男村」を制作する。(写真:筆者撮影)

父親の気持ちをわかる観客もいる

━━わたしは、中川さんを見ていて、父親は大変だなぁと思ったんです。たぶんいつの時代も、男は「父親」を演じなきゃいけない。わたしは父親とは生前あまり会話しなかったんですが、彼も自分がどう振る舞っていいのかわからず思案にくれていたのかなぁと、映画を見ていて父のことを思い出したりしました。

あのシーン、僕はすごく好きなんです。たしかに中川さんを見て、どうしょうもないなぁと言うひともいれば、わかるよと言うひともいて。見る人によって捉え方はさまざま。だけど、悪い読後感にはぜったいしたくなかったので、使い方はものすごく考えました。しかもカメラマンも頑張って、寄らずにツーショットで撮ってくれたんですよね。

━━涙を狙った顔のアップとか、最近のテレビは多いですよね。

そう。中川さんがしゃべりはじめたら、中川さんに寄る。で、ユイちゃんにパンする。それだと、台無しですから。だけど動かずに、じっと待ってくれた。ふたりの表情をひとつの画面で撮れたのは、よかったなと思いました。

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