そのような志の低いおじさんたちが、おいしいご飯を食べたり(しかもそれは特別に高額な「グルメ」ではない)、旅行や観光をしたり、趣味を共有したり、スーパー銭湯に行ったり、一緒に部屋でダラダラまったり過ごしたりするのを楽しみつくす。
近年、多数派男性としての「おじさん」の無自覚さや差別意識が批判されることが多くなった。『ハンチョウ』は、そうした男性=「おじさん」たちにも、無理なく、自然な形で、さまざまな気付きを与えてくれるだろう。
イクメンでも社会起業家でもない人生
ハンチョウたちはべつに善人でも優等生でもなく、欠点も卑劣さもダメさも抱えた男性たちである。彼らはいわば「ふつうの男性」に近い男性たちであり、その点でも身近さを感じさせる。
光の当たる冴えた人生ではないし、華々しくもない。けれど、それなりに趣味があって楽しいとか、気の合う中年の仲間がいてそれで満足とか、誰からも承認されなくてもささやかな満足があればそれでいいとか、そういう人生の形。そしてそれを支える男性たちのささやかな友情関係。非差別的で平和的なホモソーシャリティ。
『ハンチョウ』はそうした日々の喜びを地道に、丁寧に(作中の比喩でいえばぬか漬けのように)積み重ね、発酵させているのだ。
くりかえすけれども、現代日本の男性たちには、そういったゆるやかで肯定的な人生のモデルがあまりないのかもしれない。
企業戦士的な男らしさや、家父長的な父親像や、リベラルでスマートなイクメン的な男性や社会起業家のイメージしか与えられていない。オタクや草食系男子などのモデルもあるけれど、多数派の男性たちにももっとさまざまな、多様な、そこそこ楽しく幸福で、あまり暴力的ではない人生のモデルがあっていいだろう。
男性たちにもそのような解放感が必要である。
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