図らずも不良時代の経験が生きたわけだが、とはいえ新聞奨学生も本業は「学生」。忙しい日々のなか、「せっかく大学に入ったのに、何もできないな」と思うようになった藤岡さんは、2年生に上がるタイミングで新聞奨学生を辞める決意をし、第二種奨学金(有利子)を借りることになった。
新聞奨学生として40万円、第二種奨学金が200万円、合計240万円の貸与総額である。なお40万円は、新聞奨学生を1年間継続したので返済を免除されたらしい。
就職後も勉強を続けた元非行少年
こうして奨学金を借りることになった、元非行少年の藤岡さん。しかし、中学・高校時代とは打って変わって、4年間はほとんど休まずに大学に通い続けた結果、26歳で大学を卒業。中堅規模の証券会社に入社した。
藤岡さんが証券会社の道を選んだのには当然、バブル期でもあったため「奨学金をすぐに返せそう」という思いもあったが、働くなかで「もっと学びたい!」という気持ちが募っていったようだ。
「大学の夜間部に4年間在籍しましたが、全然勉強が足りないと思ったんです。そこで会社の留学制度を利用して2年間、国立の大学院に行くことになりました。学んだのは法律です」
大学で学んだ理系の分野からは道が外れたが、大学院で2年の修士課程を修めた後、証券会社では法務の仕事を任された。もはや、元非行少年の面影もないキャリアだが、そんな彼に悲劇が訪れる。
「バブルが弾けてから雲行きの怪しかった会社でしたが、とうとう倒産してしまったんです……。上からは『会社のカネで法律の勉強をしてきたよな?』と言われ、倒産後の事後処理の仕事を担当。弁護士と裁判所の対応を1年間続けました」
その後、ようやく事後処理の業務を終え、会社を立ち去った藤岡さん。そこから、転職に転職を重ね、合計で7社を渡り歩いたという。とくに3社目は、前述したように今では誰もが知る存在になっているIT企業だったが、証券会社での経験を買われた形だった。
「当時、その会社は株式を公開したばかりで、社員も200人ぐらい。私はITのことはわからないのですが、総務・法務としてはトップを任され、会社もイケイケでしたから、給料もぐんぐん伸びていきましたね。
その後も何社かを転々としておりますが、少年時代みたいに『反りが合わないから辞めた』わけではなく、証券会社の事後処理と株式上場後のIT企業の法務・総務としての腕を評価されたことで、さまざまな企業から『総務・法務の立ち上げ』要員として声をかけられた感じです」
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