こうして、周囲のサポートのおかげで無事更生し、大学進学を果たした藤岡さん。しかし、周囲の祝福とはよそに、家族からのサポートは受けられなかった。
「学年が上になってしまった弟が私立大学に通っていたこともあり、『お前に出せる金の余裕はない』と言われていたんですね。しかも受験勉強中も父親から『後日、もめると厄介だから』と言われ、『今後、勉学に関しての経済的援助を受けられなくても、親と弟にいっさい責任はなく、一生恨みません』という趣旨の念書まで書かされていました」
ハードすぎる? 新聞奨学生生活の実態
家族のサポートが受けられないのであれば、奨学金を頼みの綱にするのは当然の流れ。そこで、藤岡さんは新聞奨学生という道を選択することになる。
新聞奨学金が過酷な日々を送っていることは過去の記事でも取り上げているが、藤岡さんがその道を選んだのはある意味、必然でもあった。
「もともと高校時代に親ともめて2年ぐらい家出していた時期があったのですが、その際に新聞販売店で働いていたんです。ですので、新聞奨学生になるのは、自分としては自然な流れでしたね。
大学進学を機に上京し、大手新聞社の新聞奨学生に採用してもらって、都内の新聞販売店で住み込みで働き始めました。面接を受けたその日のうちに、『1年間は辛抱しろ』と40万円近くを小切手でもらえた(貸与)ので、これで入学金と学費、上京資金を払いました。あとは毎月7万〜8万円程度の給料をもらい貯金と学費等にあてました」
しかし、新聞配達経験があったとしても、新聞奨学生の生活はハードだ。「上京してさまざまな経験をしたい」と思っていた藤岡さんだが、新聞奨学生として、時間に追われる毎日を送るようになる。
「深夜2時に起床して、そこから明け方6時まで新聞配達。8時までに朝食を済ませると、『拡張』と呼ばれる訪問販売や集金などに従事。14時過ぎには夕刊が届きますので、今度はそれを配っていきます。昼間の学生たちは登校しますが、夜間に通う私には昼間も仕事があったんです。
大学にようやく向かえるのは16時頃。講義が終わって21時に帰ると、今度は翌日の朝刊のチラシの準備を23時までして、仮眠を取り、また2時に起きる……そんな生活を、休刊日の1月2日以外は毎日送っていました。仮眠だけでは足りないので、昼間の仕事の合間に睡眠を取っていましたね。
こんな働き方ですので、始めた当初はやる気満々だった人たちのほとんどが、半年も経つ頃にはボロボロになっていました。同期は十数人いましたが、結果的に1年続いたのは私ともう1人だけ。2人ともお金がなく必死だったのは確かですが、私の場合は10代の頃に新聞販売店で働いた経験があったため、『やり方』と『力の抜き方』はわかっていたんですね」
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