「奨学金240万円」元非行少年が歩んだ数奇な半生 暴走族の副総長、新聞奨学生を経て驚きの現在

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もはや、不良時代のエピソードが信じられないぐらい、急勾配な人生を送ってきた藤岡さん。他方で、社会人になってから始まった奨学金返済についても気になるところだ。

バブル崩壊時には大変な思いも

「毎月返済ではなく、年に1回、十数万円をまとめて払っていました。収入があれば年に1回なので、それほど大変な額ではありませんが、バブルが崩壊したときは返済が大変でしたね。

というのも、当時の証券会社は基本給よりもボーナスのほうが多い時代だったんです。手取りは12万円程度でしたから、ボーナスありきで家や車をローンで買っていた人は泣き崩れていましたね。まあ、私もボーナスで奨学金を返せると思っていたんですけどね」

まさに絶望的な状況に陥ったわけだが、結果的になんとかなったようだ。

「大学院に入り直したこと、また会社が倒産したという事情を認められ、5〜6年は支払猶予にしてもらっていましたし、年1回の支払いも払えないときは分割払いさせてもらいました。

だから、本格的な返済の始まりは、IT企業に入ってからです。結局、完済までに20年かかり、最後はまとめて3年分の50万円程度を一括で返済しました」

こうして無事に奨学金の返済を終えた藤岡さんだが、50代になってからも何度か転職や大学院への再入学を経験している。エピソードに事欠かない。

「5社目の会社で、障害者雇用のための特例子会社の立ち上げにも携わります。そこで、発達障害の人たちと初めて仕事をすることになるのですが、そこで『心理学を学べば、障害者の人たちと、もっとコミュニケーションを取りやすくなるのかもしれない』と、勉強を始めることにしまして。

さらに、勉強を続けていくうちに心理学は『非行少年や犯罪者の立ち直り』といった分野も扱っていることを知り、仕事をしながら本格的に勉強するために都心近くの国立の大学院に入り、最終的に公認心理師の資格を取りました。

そして、現在は監査役としてスタートアップ企業で働きながら、週末は学習につまずく子どものための個別指導教室の非常勤講師をしたり、某区では犯罪や非行をした少年少女の立ち直りを地域で支える、民間のボランティア『保護司』として活動しています」

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