ソ連の崩壊と社会主義の破壊は想定外だった ペレストロイカを実体験したロシア人教授の回想
先ほど私を「勝ち組」と言いましたが、これは純粋に運がよかったためです。体制移行の最初の段階で、ソ連国民の大多数は負け組になりました。ただ、1990年代末になり、体制移行の過渡期が終わるころには、1990年代半ばまで貧しく厳しい生活を送った人たちの生活が急速に改善しました。これはある程度、ゴルバチョフのおかげで可能になった市場化がもたらした結果でした。
しかし、ほとんどのロシア人は絶対にそう思いませんでした。彼らの常識では「ゴルバチョフのせいで経済危機が生じ、プーチン大統領はその経済危機を克服した人」となっていますから。
――厳しい変化に直面した人がいた反面、ゴルバチョフ時代でも変わらなかったことは何でしょうか。
答えにくい質問ですね。なぜなら、革命が起こったとしても、変わらないものが多い。日常生活がそうです。革命が起こったとしても多くの人たちの日常が大きく変わるということはありません。学校に行ったり、職場に行く。そうした生活です。
例えば、1930年代の帝国時代の日本と1940年代末のGHQ(連合国軍総司令部)時代の日本を比較してみましょう。人々は変わらず学校や職場に行きます。学校では国史のような科目が消えて、国家神道も消え、軍国主義の雰囲気も消えました。しかし、基本的な日常生活は同じようなものではなかったでしょうか。
ソ連とロシアで変わらなかったもの
ソ連とロシアで変わらなかったものとしては、権威主義的な政治文化を挙げることができます。ゴルバチョフ時代もその後も、昔の政治文化、すなわち権威主義的な政治文化は多く残っていました。これはロシア大衆の政治文化ですが、昔も今も似ています。プーチン政権の登場、プーチン政権の保守化(権威主義の加速化・深度)は、ロシア大衆の政治文化を如実に示しています。
それだけではなく、ソ連の支配階級、すなわち特権階級の構成もほとんど変わらなかった。2022年現在のロシアを統治する人たちは、依然として共産主義時代の幹部出身者やその子どもたちが大多数を占めています。
――ソ連崩壊前後、ゴルバチョフを監禁した共産党保守派によるクーデター、指導者としてのエリツィンの登場、そしてソ連崩壊へと至る過程を当時、どうご覧になっていましたか。
1980年代初頭から、私のような政治に関心がある学生たち、すなわち反共産主義民主化運動の学生の間では、ソ連の非ロシア系民族の中で民族主義が高まっていることを知っていました。そして当時の私が考えていたことは、今になってみると実に根拠のない素朴な考えだったのですが、当時は私の考えと同じような人が多くいました。
いずれにせよ、すでに1980年代初頭からソ連解体の兆しが見え始めました。私はゴルバチョフが登場した1980年代半ばから、連邦構成共和国の多数が近いうちに独立すると思っていましたが、これは1980年代末には確信しました。
私はゴルバチョフについて、大多数のソ連人のようにもともと希望を感じていました。しかし、エリツィンについては、最初から批判的な考えがありました。エリツィンは権力への野心も強く、機会主義的性格が強い人に見えました。
政治家なら誰でも権力に対する野心・機会主義はあります。それでも、エリツィンは最初からこのような傾向がとても強くうかがえました。それだけではなく、エリツィンの時代は不正腐敗がとても横行して、高級幹部などごく少数の人たちが国家財産を不法に盗みました。私はこのような「盗みとあまり変わらない民営化」を必要悪であり避けられない悪だとも思いましたが、これには強い不満を感じました。
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