ソ連の崩壊と社会主義の破壊は想定外だった ペレストロイカを実体験したロシア人教授の回想

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一方で、私は当時、今後のソ連(ロシア)は「完璧な自由民主主義国家にはなれない」とも考えていたのです。実は、私は「今後のロシアは強い民族主義傾向を持つ権威主義体制が登場する可能性が高い」とみていました。人は、自分の予測能力を過大評価する傾向があります。とはいえ、私は当時「ロシアでは近いうちに民族主義の性格が強い権威主義政権が登場するだろう」という主旨の論文をいくつか執筆しました。

――今のロシアの姿を端的に表現された予測でしたね。その予測を現時点でどう振り返りますか。

2000年代初頭には「自分の予測は過度に悲観主義的で、誤った予測だった」と思い始めました。2000年代初頭のロシアは民主体制を持つ中進国になっているという雰囲気でした。しかしこれは錯覚でした。現在のプーチン政権がこの数年間に実施してきた政策をみれば、30年前の私の予測は正確なものだったと考えます。

――いわゆる「負け組」の人たちはどんな体験をし、ペレストロイカをどう考えたのでしょうか。

当時の大多数はまったく「勝ち組」ではありませんでした。1990年代に当時のレニングラード(サンクトペテルブルク)国立大学の助教授としての給料では、当時のソ連で2、3日しか生活できなかった。当時は副業をたくさんやってしのぎました。実際に、私が副業で稼いだ金額は、公式の給料より数十倍多かったのです。主に通訳と翻訳でしたが、他の副業もたくさんやりました。そんな副業ができる人も、実は少数でした。

1990年代半ばに出始めたソ連復活論

――1980年代末に向かうにつれ、ソ連社会では深刻な物不足を経験しましたね。

1989~1990年ごろに経済状況がひどく厳しくなり、もともと商品数が多くなかった店では本当に店内が空っぽになってしまうこともありました。1990年代初頭、エリツィン政権下で副首相を務めたエゴール・ガイダルが始めた「急激な市場経済化導入」という改革以降、店に品物が現れはじめましたが、その値段は庶民が想像することすらできないほど高額でした。

そんな経済状況で最も打撃を受けた人たちは、国家からのお金で生きていた人たちです。たとえば学校の教員や下級公務員、大学教授、軍需工業の技術者や労働者たちは、一夜にして物乞いのような生活を送らざるをえなくなりました。

権威主義国家であれ民主主義国家であれ、彼らは似たような生活をしたはずです。当然、彼らにとっての経済崩壊は、それまで禁書とされていた書籍が自由に販売されるようになったことより、はるかに重要なニュースでした。

そのような彼らも、当初はゴルバチョフの政策を歓迎しました。ところが1990年代になって強く失望したのです。1990年代半ばには、1980年代には共産主義を嫌っていたロシアの庶民の多くは、ソ連の復活を夢見るようになります。

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