入管収容死ウィシュマさんの故郷を訪れ見た光景 「日本で英語を教えたい」という夢を抱いていた

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ウィシュマさんの遺影
ウィシュマさんの実家のリビングの棚の上には、泣き父の写真(右)の隣に、ウィシュマさんの遺影が並ぶ=2021年10月(筆者撮影)
2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が亡くなった。彼女は、自身の体調不良を訴え、検査でも異常が出ていたにもかかわらず、適切な治療を施されなかった。2021年秋にウィシュマさんの故郷を訪れた安田菜津紀さんがご家族からたくさんの思いを聞いた――。『外国人差別の現場』より一部抜粋し再構成のうえお届けします。

ウィシュマさんが育った家

成田空港を発ち、9時間余り。徐々に高度を下げる飛行機の窓から、かつてウィシュマさんも目にしたであろう風景に見入った。青々とした森が地平線まで続く大地は、まぶしく、瑞々しかった。

スリランカ最大都市コロンボから、車を走らせること1時間。乗り換えたトゥクトゥク(三輪タクシー)で、昼寝する野良犬たちをよけながら曲がりくねった道を進んでいくと、木々に囲まれた静かな農村の一角にある、白壁の家にたどり着いた。

ランブータンやココナッツの木が生い茂る庭から、先に帰国していた次女のワヨミさんとパートナー、そしてウィシュマさんの愛犬だった、シェパードのシェニーが出迎えてくれた。

天井の高いリビングは、蒸し暑い気候でも風通しがいい。玄関から中に進むとすぐに、木棚の上に掲げられた、ウィシュマさんの遺影と目が合う。今は亡き父の写真の横で、彼女は静かに、私たちに微笑みかけていた。

リビングで迎えてくれたウィシュマさんの母、スリヤラタさんは、にこやかな表情を浮かべてはいるものの、目元には深く疲れがにじんでいた。自己紹介もそこそこに、「ここでウィシュマは育ったのよ、こんなに小さい頃から」と、身振り手振りを交え、堰を切ったように語り始めた。

さっきまでの穏やかな表情がしだいに崩れ、ウィシュマさんの子ども時代を語りながら、肩を震わせ泣き崩れてしまった。半年以上が経ってもなお、悲しみは寸分も癒えてはいなかった。

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