渡辺さんは「ザ・ノース・フェイス」に限らず、人工合成クモ糸素材の開発したベンチャー企業であるスパイバーとの協業に取り組むなど、過去から現在にいたるまで新しい試みに挑戦してきた。
聞けば、ゴールドウインの創業者である西田東作氏はチャレンジの人であり、想像力の人だったそう。「地球の長い歴史は46億年もあり、それから考えたら人生は100年くらいしかないのだから、本当に一瞬。その人生を自分らしく生きられないなんておかしい。思い切り、燃えるように、燃え尽きるように生きろ」と言い続けたという。
渡辺さんは「要は“やりきる”ということ。何のために自分が存在し、何をするかということを徹底的に考え抜いて、やるべきことを徹底してやっていくことです」と言う。当たり前のように聞こえるが、実践していくのは容易ではない。渡辺さんはこれを“ゴールドウインらしさ”ととらえ、自ら行ってきたのだ。
「ザ・ノース・フェイス」ブランドの直営店を自ら企画
7月1日、東京・原宿の明治通り沿いに「THE NORTH FACE Sphere(ザ・ノース・フェイス スフィア)」という、ランニングやトレーニングを軸としたアスレチックカテゴリーの旗艦店がオープンした。原宿の表参道と明治通りの交差点のすぐそばの一等地だが、このエリアはゴールドウインのショップが連なっていて、これで6店舗目になる。
原宿は、1983年にゴールドウイン初の直営店として、オリジナルのアウトドアウェアやグッズを販売する「WEATHER STATION(ウェザーステーション)」というショップを出店したところだ。そのウェザーステーションが1993年に移転したのが、今の「ザ・ノース・フェイス スフィア」がオープンした場所だった。
そして2000年に、ウェザーステーションを初の「ザ・ノース・フェイス」ブランドの店舗に変更する。その担当をしたのが渡辺さんであり、自ら手を挙げた企画でもあった。
「1997年くらいからスポーツマーケットにかげりが見えてきて、売り上げが前年を割り込むようになっていた。新しいお客様を開拓して、スポーツの楽しみ方を伝えていく必要がある。そのためには、メーカーとしてブランドストアを作って世界観を伝えることが大事と思い、ウェザーステーションをザ・ノース・フェイスに変える提案をしたのです」(渡辺さん)
当時のゴールドウインは卸売りが主流であり、「ザ・ノース・フェイス」というブランド名を掲げた直営店を持つことには、取引先からも社内からも抵抗の声が上がった。が、当時の社長がゴーサインを出し、直営店の開発をやることになったのだ。
「もの作りだけでなく、VMD(ビジュアルマーチャンダイジング、視覚的に訴求するマーケティング手法)やショップデザインまで、外部のプロの力を借りながら、全部やらせてもらったのは大きな勉強になりました」(渡辺さん)
ここで渡辺さんが“やりきった”のは、“時代の先端の空気=ファッション”を取り入れたブランドとして提案をしたこと。当時のゴールドウインは、“時代の先端の空気=ファッション”と近いブランドというイメージがなかったのだ。
そこに目をつけ、「原宿の真ん中で、当時、大人気だったヒップホップブランドとコラボするなど、ストリートファッションや若者のライフスタイルとつながったブランドイメージを作っていったのです」(渡辺さん)。こうした戦略が当たり、売り上げが跳ね上がった。メーカー自ら世界観を発信することで、新たなファンを作っていったのだ。
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