北条氏に翻弄された「源頼家」ダメ将軍といえぬ訳 政治に積極的で弓の腕前も優れていた2代将軍

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頼家は、他人(安達景盛)の妾を奪い、蹴鞠に熱中した「暗君」として『吾妻鏡』には描かれています。

ただ、同じ『吾妻鏡』に「東国の地頭たちに言いつけて、水の便のある荒野を新しく開拓せよと命じた」(1199年4月27日)とあるように、積極的に政治に取り組んでいた様子も記されています。

また、鎌倉時代初期の僧侶・慈円が書いた『愚管抄』には、頼家の弓の腕前は、父・頼朝に優るとも劣らない、優れたものであったとの評判が記されています。これらのことから、頼家を単なる「暗君」と評することは、慎まなければいけないように思います。

頼家のミスは、阿野全成(阿波局の夫)を謀反の疑いありとして捕え殺害したり、比企氏を優遇し、一幡を後継にしたりとするなど、北条氏を挑発したことでしょうか。

伊豆・修善寺で哀れな最期を迎えた

伊豆・修善寺に幽閉同然の身となった頼家は、近習を側近くに差し向けてほしいと、母・政子に願いますが、却下。手紙を寄越すことも禁止される哀れな身となります。

そして、元久元(1204)年7月19日、『吾妻鏡』には「昨日、頼家様が伊豆の修善寺で亡くなった」との記事が登場するのです。まるで病死したかのような内容ですが、『愚管抄』によると、北条氏の手の者による暗殺とあります。殺すのに手間取り、首に紐をつけ、睾丸を押さえて刺殺したといいます。

ちなみに同書によると、頼家の子・一幡も、前年11月3日に、北条義時が遣わした刺客により、殺され、埋葬されたようです。

刺客の名は「藤馬」。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には、下人で暗殺者の善児に養育された孤児の少女「トウ」が登場し、彼女もまた暗殺に手を染めていますが、「トウ」は「藤馬」から着想を得て、誕生した架空のキャラクターかもしれません。頼家も藤馬に殺された可能性もあります。

いずれにせよ、2代将軍・頼家は、20代の若さでこの世を去ったのでした。政変の果ての哀れな死というべきでしょう。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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