北条氏に翻弄された「源頼家」ダメ将軍といえぬ訳 政治に積極的で弓の腕前も優れていた2代将軍

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この内容の是非は措くとして、頼家が、13人の宿老補佐体制とは別の側近体制を作ろうとしていたことがわかります。

頼家は、13人の宿老体制に対するには、側近たちにこれくらい強い権限を与えないといけないと思っていたかもしれません。

「13人の宿老体制に対する」と書きましたが、側近グループの中に「鎌倉殿の13人」の1人・比企能員の息子2人が入っていたことは注目されます。比企能員の娘(若狭局)は、頼家の妾であり、一幡という男子を産んでいます。また、頼家の乳母は比企氏の女性でした。そして、先程の張り紙をした者の1人は、梶原景時。彼の妻も頼家の乳母をしていたといわれます。

そうしたことを考えると、頼家は、単に13人の宿老体制に反するグループを形成しようとしたのではなく、自ら(頼家)のもとに比企氏を組み込んだ「頼家―比企」体制を構築しようとしたのではないかと思われます。

北条氏に翼をもがれた源頼家

当然、そのような動きは、他の有力御家人、とくに北条氏(時政・義時父子)にとっては苦々しいものだったでしょう。梶原景時の変(1199年)にしても、比企能員の変(1203年)にしても、頼家の両翼を北条氏がもいだものと見ることもできます。

事実、比企能員が殺され、比企一族が滅亡した直後(9月29日)に、頼家は鎌倉から伊豆修善寺に追放されています。最大の後援者を失った頼家は、翼を取られた小鳥になっていたのです。

なお9月15日には、頼家の弟・千幡がその後継となりました。千幡の乳母は、北条時政の娘・阿波局です。

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