この手の話は「若者の音楽離れ」など、若者の◯◯離れ話として論じられやすいのだが、実はまったく離れているわけではない。むしろ、こんなに音楽が身近な時代はない。ただ、「有料の音源」におカネが落ちないという、そういう話なのである。
これは、「◯◯離れ」論全般に言えることである。「新しく世に出たものを有料で購入する」ことを前提に議論しているだけであって、中古や他の手段へのシフトを意識すると、見方は大きく変わる。
要するに、実はこれは「ビジネスとして音楽で食べている人」の問題である。ただ、これもやや大胆に言うならば、レコード会社が昔ほど音源だけでは儲からなくなっており、儲け方が変わっているという話なのだと思う。
ある業界人の話
この記事を書くにあたり、音楽プロモーターに勤務していた方に話を聞いたが、こんな回答が返ってきた。
「もともと音楽をやっている側、つまりアーティストと周りの組織は、昔から、ただいい音楽を生み出して世の中に伝えたいと思っていたのです。特に努力しなくてもビジネスとして成立してバブルを迎えてしまったところ、その音楽コンテンツがフリーになってしまったので、今まで入ってきていたおカネが入ってこなくなって焦り始めた、というのが現実なのではないでしょうか。ただ、やっぱり音楽は文化や芸術であってビジネスではないというのが根本にあるので、ビジネスとして何とかしなくちゃ!とは、音楽をやっている側は正直あまり考えていないのかな、と思っています」
なるほど、たしかにメジャーで活躍しているミュージシャンの友人たちも「これで食べられる」「必ず大儲けできる」などとは思っていないわけで。あまりにビジネスとして解釈しすぎたがゆえの実態だとも言える。
元プロモーターはこう続ける。
「アーティストや彼らを支える音楽業界は、まさに身を削りながら創作活動をしているのに、現在の音楽産業の状況では、昔のように創作活動に経費をかけることができないのが現状。しかも、アーティストの成り手も少なくなって、まさにアーティスト人材不足。だから、時代に寄り添い、人々が共感するような良質の音楽、アーティストを生み出し、届けたいと思っても、それが出来ないというのが一番の悩みというのが現状だと思います。だから、『音楽ビジネスを何とかしなくちゃ』となるんでしょうね」
個人的には才能のある人が苦労する仕組みは何とかしたいと思うものなのだが、音楽では食えなくてバンドを「辞めた人」はいても、食えなくて「死んだ人」はあまり聞いたことがない。もともと音楽で勝負するというのはそういうことなのだ。
音楽は一部で激しくビジネスに走りつつ、そこではおカネを払える人が新曲なんかいらない世界をライブで楽しむし、音源も買う。一方でおカネをあまり払わないで楽しむ層も増えていることも想定される。
“NO MUSIC,NO LIFE”!
見方を変えると、「食えない」がゆえに、音楽はビジネスから解放され、さらに独創的なものが生まれていくかもしれない。PC上での音楽編集ソフトを始め機材が安価になり少ない予算で音楽を作ることができるし、逆に才能のある副業で音楽をやる人が参入してきて面白いことになるシナリオもあるのではないかと思っていた。気づけばルール、フォーマットが変わっていたという話である。
まあ、私は音源も買い、ライブにも通うし、尊敬するミュージシャンたちが食える仕組みが続くことを祈る派なのだけど、こういう変化を意識し、見立てを変えなくてはいけない。
“NO MUSIC,NO LIFE”は、皮肉なかたちで過去最高に実現しつつあるのだ。
まあ、私は、お金払って音源買うし、ライブ行くのだけどね。3月はアンセム、アーチ・エネミー、スプリングルーブという春フェスに通う予定。今から楽しみだ。
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