さらに、メリトクラシーに取り込まれずに生きてもらうために親が子どもにできることとしては、「君なら大丈夫。堂々と生きていきなさい。困ったときにはきっとそばにいるから」と言ってやることです。根拠なんてなくても、心の底からそう信じてやる。
親のそのひと言は、子どもにとっては「自分は大丈夫」と信じるための最強の根拠になります。それが親にできる最善かつ唯一のことではないでしょうか。そうしたら、本当に大丈夫になると、これも数々の学校取材を通して、ベテランの先生たちから聞いています。子どもシェルターのスタッフからも聞きました。親が親という立場であるがゆえにもつその不思議な力を、過小評価すべきではありません。
拙著『不登校でも学べる』では、ホームスクール&ホームエデュケーション家族会に話を聞いてレポートしています。そのなかでスタッフの1人が、「うちの子は10歳ですけど、『オレ、大丈夫だよ』って言うんです。すごく頼もしくなったと思います」と言っていたことが印象的でした。
親が心の底からそう思っていれば、子どもにも勇気が湧いてくるんです。学力より、学歴より、社会情動的スキルより、親(最も信頼を寄せている大人)からの太鼓判が、最強の生きる力の源になります。これは長年の取材活動を通して得られた私の信念でもあります。
自分があきらめない限り人生はダメにならない
「大丈夫」というのは、なんでも思い通りになるという意味ではありません。むしろ、「人生なんて失敗や回り道の連続さ。それでも自分があきらめない限り人生がダメになるなんてことはない。失敗や回り道だって楽しめちゃう。それが人生。むしろ失敗や回り道がない人生なんて味気ないでしょ」というような意味を含んでいます。
逆にどんなに高学歴でも、親から「あなたはまだまだだ」と言われ続けて育ったひとは、いくつになっても不安で緊張しています。どんなに高い社会的地位を得ていても、いつか転落するんじゃないかという恐怖と常に戦っています。他人との比較でしか自分の価値を確かめられないからです。『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)や『ルポ教育虐待』(ディスカヴァー携書)などの取材を通して、そういうひとたちの話を聞きました。それは本当に〝勝ち組〟の人生でしょうか。
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