2021年に「親ガチャ」という言葉が流行りました。「出身家庭の経済格差が教育格差を生み、教育格差が学力格差を生み、学力格差が社会での地位獲得格差を生む」図式が強調されたことから、「生まれ」によって人生がほぼ決まってしまうという、あきらめと冷笑のニュアンスを含んでいます。
経済格差が学力格差に結びついてしまうメカニズムは、教育費の多寡だけでは説明できず、むしろ家庭の社会的・経済的地位に依存することが社会学の研究から知られています。
近年、非正規雇用者の悲哀もクローズアップされていました。さらにコロナ禍で、非正規雇用者が困窮に追い込まれるリスクが高まっていることが、世に広く認知されました。「雇用の劣化」です。
いかんともしがたい教育格差の問題と雇用の劣化の問題が手を結び、高学力を得られなければ、わが子が貧困層に転落するかもしれないという恐怖が、中流層を自覚する多くの子育て世帯に広まっています。転落の恐怖から逃れるための中学受験というニーズも顕在化しています。
社会課題を教育の問題に責任転嫁するな
わが子の不登校に強い不安を感じる保護者も同じではないでしょうか。いまの時代、学校に行かなくても「学び」はどうにかなる。でも結局「学歴」がないと、貧困層へ転落してしまう……。
この不安を解消する理屈を少なくとも私はもっていません。たぶん誰ももっていないと思います。なぜなら、このように〝勝ち組〟〝負け組〟がはっきりする社会構造がある限り、誰かが必ず〝負け組〟になるからです。誰かが〝勝ち組〟に這い上がれば、誰かが〝負け組〟に転落します。
学業や経済活動において高い成果をあげたものが高い社会的地位を得る社会構造のことをメリトクラシー(能力主義、成果主義、功績主義)といいます。日本もアメリカもメリトクラシーの社会です。そしてメリトクラシーと自己責任論は相性がいい。メリトクラシーの社会では、〝負け組〟になったのは自分の努力不足だという考え方がまかり通ってしまいます。逆にいえば〝勝ち組〟は努力の結果だとされます。
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