「親の力で人生が決まる」日本の決定的な転換点 「ペアレントクラシー」とはいったい何か?

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学校教育の拡大をバネに明治・大正・昭和と日本は急速な近代化を遂げたものの、それは、第二次世界大戦における敗北という不幸な帰結をもたらすもととなった。

大戦後、アメリカ合衆国GHQの指導のもとで、1947年にスタートしたのが新学制である。これは、小学校・中学校・高等学校・大学を軸とする単線型学校体系を打ち立てたものであった。日本はこの教育制度のもとで順調な高度経済成長を遂げ、1970年代には早くも先進国に仲間入りし、今日にいたるまで世界を先導する大国としての役割を果たし続けている。

教育勅語を柱とする旧学制から、民主主義を標榜する新学制へ。日本の教育の中身は、2つの時期できわめて対照的な特徴を有している。しかしながら他方で、両者は、同じ目標に向けて組み立てられたものであったと指摘することも可能である。その目標が「メリトクラシーの推進」ということになる。

明治日本の中心的国是は「富国強兵」であった。また、戦後の日本の最重要課題は「経済成長」であった。いずれもその鍵となるのは「人づくり」である。いかに国家にとって有用な人材をつくりあげるか、その目標に向けて学校制度の総力が結集され、国民の動員が図られた。

その背景にある人材選抜の考え方、そしてそれにもとづく国家統治のあり方がメリトクラシーと呼ばれるものである。この150年ほどの間、日本という国、もっと言うならば世界じゅうの国々を動かしてきたのが、このメリトクラシーの原理である。

メリトクラシーは「業績主義」と訳されることが多い。この言葉の生みの親であるイギリスのヤングは、メリトクラシーの社会を、次のような公式で表現している。

業績(Merit)=能力(IQ)+ 努力(Efforts)

明治維新が転換点に

(出所:『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』)

すなわち、諸個人が有する能力と彼らが蓄積する努力が組み合わされた結果としての「個人のメリット(業績)」に応じて、彼・彼女の人生が切り拓かれていく社会がメリトクラシーの社会なのである。

教育社会学者のフィリップ・ブラウンの議論と重ね合わせると、そのうち、図のAの部分が「第一の波」、そしてBの部分が「第二の波」に等しいということになる。いずれも、メリトクラシーが主導原理だった時代である。

このような、個人の能力と努力が重視される近代社会の前に存在したのが、「アリストクラシー」(貴族主義)の社会である。一般的には、「身分社会」と表現することができる。

そこにおいては、王を中心とする貴族たちが社会の支配層を構成した。そして、諸個人の人生は、各自の生まれ(身分や家柄)によっておおかた定められていた。その「運命(定め)」に抗うことには、大きなリスクや社会的コストがつきまとったはずである。

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