萩原聖人さん「沖縄戦を戦った県知事を演じて」 50代になって思う「才能より人格の時代」

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第2次世界大戦が激化して「ともに死ぬ」という部下たちには「命(ぬち)どぅ宝、生きぬけ」と伝えて、逃しました。自分が敵軍の犠牲になる覚悟をしたんです。

ですが器用な性格ではないから、人との距離感を縮める方法は、ああいう形でしかできなかった。僕はそういう島田さんが好きです。

「才能より人格の時代」に突入したと思う

――作品は、戦争を知らない世代にもわかりやすく描かれていました。

映画ですから脚色されている部分もありますが、ウソを描いているわけではないので、過去の日本に起きた事実は伝わるはずです。とくに、戦争が苛烈になっていくプロセスはわかりやすいかと。

戦後80年近く経ち、「本当に日本が戦争をしたのか」と実感できない世代が増えてきているのは、みなさんもご存じのとおりです。ですが、戦争を体験した世代は、僕ら世代が当たり前のように「戦争について知っている」と認知している現象と、同様の現象が起きていると思います。

1995年に起きた阪神・淡路大震災を、関西出身者でも知らない方がいます。2011年に起きた東日本大震災も、知らずに地元で育っている子どもたちもいます。

僕らの仕事は「才能より人格の時代」に突入したと思っています。政治的意見は控えたいですが、過去の事実を知ることは大切だと思っています。

この作品はコロナ禍で撮影が延期になり、奇しくも沖縄返還50周年の今年の公開になりました。五十嵐匠監督の、「絶対に撮りきって公開までこぎ着ける」という執念が実現させたのだと個人的に考えています。将来、歴史的資料になる側面も持ち合わせているパワフルな作品なので、よければ子どもたちにも観てもらいたいですね。

――本作に出演して、死生観に変化はありましたか。

コロナ禍の中、15年間飼っていたチワワががんで逝きました。もう会えないのは悲しいけれど、「いままでありがとう」と心から感謝ができた、亡くなる前の数時間はいまでも尊いひとときでした。作品のように、家族とお別れする時間もなく離れ離れになっていたら、悲しみはさらに深かったかもしれません。

僕自身は死生観についてずっと考えていますが、あまりに難しくて考え始めるとわからなくなってしまって。答えのない事柄に悩むのはある程度にして、「明日も仕事を頑張ろう」と気を引き締めるのみです。

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