実は子どもに「恥をかかせている」絶対NGワード 知らずのうちにこんな言葉を使っていませんか

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直接的に恥をかかせるのは、突き放すようなことを言うときが多く、それが怒りを伴っていれば、いっそう子どものプライドを傷つける。間接的に恥をかかせることもある。

たとえば、子どもが感情の高ぶった状態にあって、親とつながろうと努めているにもかかわらず、親がその気持ちに波長を合わせられないときだ。

前向きなときにも(何かに大喜びするなど)、後ろ向きなときにも(悲しみや怒り、恐れなど)、つながれない状態が繰り返されることがある。波長を合わせてもらえなければ、子どもでも誰でも、間接的に恥をかかされたような状態になる。

つながりが必要な瞬間なのに、そこには何も生まれない。発育中の子どもが見守られず、理解されず、効果的な方法で対応してもらえないことが続けば、屈辱感とともに、「自分にはどこか欠陥がある」という感覚をいだいてしまう。

なぜか? 皮肉なことに、自分の必要が満たされないのは自分がどこかおかしいからだと考えるほうが、親――生存ために頼っている人物――が本当は頼りにならないと考えるより〝安全〟だからだ。このように、屈辱感は罪悪感とは違って、間違ったことをしたけれど今後はやり直せるとは思えなくなる。

悲しいことに、そういう屈辱感は、幼少期が遠い過去になっても残り、大人になってからの行動を方向づけることがある。たとえ自分では気づいていないとしても。

「ありのままの子ども」を見守ることが大事

見守っていれば、子どもを落ち着かせ、心を打ち明けるように促せるが、恥をかかせれば、子どもは本当の自分を見せたがらなくなる。あるいは、子どもは表向き親の望みどおりに行動するが、心の内側には恐怖と落胆をみなぎらせている。

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実際、研究によると、幼少期に頻繁に恥をかかされる経験をすると、不安やうつ、その他の精神衛生上の問題を抱える可能性がきわめて高くなる。

もちろん、できるとわかっている以上のことに挑戦させるべきときもある。ちょっと怖いからといって、楽しいウォータースライドを逃してほしくはないし、初回の練習に行くのが不安だからといってサッカーを1シーズンまるごと休んでほしくはない。

そうさせてしまえば、見守って支えることにはならない。子どもを見守るとは、強みと弱みの両方を知るということだ。

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