90年代は「皆が同じものを見た」最後の時代だった 文化的分断でマイケル・ジャクソン再来はない

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1990年代のアメリカとはどんな時代だったのか──(写真:まちゃー/PIXTA)
1990年代のアメリカとは何だったのか。
得体の知れない「時代の欲望」という、大きな渦が生み出す物語として、アメリカの現在、過去、未来を、さまざまな角度から、あえてナナメにも捉え直してみる。
サブカルチャーから社会を考察する歴史家にしてボストン大学教授ブルース・シュルマンと『ファンタジーランド─狂気と幻想のアメリカ500年史』で日本でも多くの読者を獲得しているラジオパーソナリティーもこなす洒脱な作家カート・アンダーセン。この2人を迎えた異色の企画『世界サブカルチャー史 欲望の系譜 アメリカ70-90s「超大国」の憂鬱』から一部抜粋してお届けする。
1回目:「マトリックス」が描いた90年代アメリカの不安感(6月18日配信)
2回目:90年代米国が罹った「みんな子ども症候群」の正体(6月25日配信)

喪失感を埋めるように「夢」が生まれた90年代

『フォレスト・ガンプ 一期一会』が描き出していた、アメリカの「美徳」。それは、アンダーセンの言葉そのままに借りるならば、「無邪気」な「ひたむきさ」ということになる。そして、それは「幻想」でもあると彼は冷静に分析するわけだが、その「幻想」こそを時に求心力とするのが、ある意味国家という存在だ。

「美徳」が「幻想」であると気づき、ある種の喪失感が広がっていった90年代だが、皮肉なことに、そうした喪失感を埋めるように、ニューエコノミーの夢が、さまざまな新技術の領域で生まれていた。

バイオテクノロジー、宇宙開発、そして最も人々の社会生活に影響を与えたのはITだ。経済の構造が、自動車などの工業主体の時代から情報、ソフトの領域主体へと完全に置き換わっていったのだ。冷戦構造の解体によって生まれた軍事費の削減分が、新たな経済分野へと投入され、情報テクノロジーの分野は活況を呈する。共産主義の壁が消失する中、世界が市場の論理でつながり、グローバル化が推進される。

イデオロギー闘争がなくなったエアポケットのような社会の空虚さを覆い隠すかのように、アメリカ流資本主義が、グローバルスタンダードとなっていく……。インターネットの中の「未来の夢」に賭けた人々の心は、どこまで、本当に豊かだったのか?

アンダーセンとシュルマンによる90年代の総括は──。

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