「死ぬのが怖い」と思ったときに考えてみたいこと がん患う医師「死に対する恐れは人それぞれ」

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大阪に住んでいる私には、高校や大学の親しい友人が東京にいます。上京した際には時々、夕食を共にすることがあります。しかし、新型コロナウイルスの蔓延で、ここ2年ほど東京には行っていません。メールでは時々やりとりをしますが、あまり会えません。

親しい友人でも年に2~3回しか会いませんが、そこまで親しくなければ、数年以上会っていない友人もいます。この年になると、そんな友人が亡くなったという話を時々、聞きます。「生前に会っていたらなあ」と思うこともありますが、10年以上会っていない友人など、何を話していいのかと悩みます。

そのようなときには「その友人はまだ東京に住んでいるんだ」とか「会う時間がないだけだ」と考えるようにしています。そう考えると、その友人の生死とは関係なく、「まだ遠くにいる」ようにも思えるのです。

よく考えてみると、家族と同様の付き合いをしている友人は、ほんの数人です。つまり、私にとっては家族と数人の友人以外は、友人の生死はあまり関係がないということになります。逆に私に対しても多くの方がそのように思っているのではないでしょうか?

自分が死んでも友人の生活は変わらない

私がいなくなることによって大きな影響があるのは、家族ぐらいでしょう。親しい友人も悲しんでくれると思いますが、彼らの生活が変わるほどのことはないと思います。そのように考えると、私は生きていることと死んでいることの境目はかなり低くなるように思います。

『死ぬ瞬間の5つの後悔』は、多くの終末期の人を看取ってきたオーストラリア出身の介護専門の著者(ブロニー・ウェア氏)が、その経験をまとめた本です。

ネットなどで紹介されている5種類の後悔を見ると、いろいろと示唆に富んでいて、考えさせられます。

そのなかでも「自分に正直な人生を生きればよかった」と悔いる人は多いのではないでしょうか。確かに正直な人生は素晴らしいと思いますが、この世の中で、完全に自分に正直な人生を送ったら、いろいろな人や組織と対立することになり、かなり迷惑をかけるのではないでしょうか?

私も「夫源病(ふげんびょう)」のカウンセリングで、夫の上から目線やモラハラで苦しんでいる妻を診察してきました。あまりにも夫に気を使いすぎて、自分の人生を見失っている妻も多くいます。

そういう方は、もう少し自分の気持ちに正直になってもいいと思いますが、あまりにも正直になりすぎると家庭が崩壊する恐れが高いのではないでしょうか? 学校や会社組織などでは、ある程度自分を「殺して」いかなければ、人間関係が成り立たないと思います。そのため私は「ほどほどに自分に正直に生きればいい」と思っています。

「働きすぎなければよかった」というのもあるでしょう。私自身も循環器内科の医師として忙しく働いていたため、家族をないがしろにしてきました。妻の献身的な努力によって何とか家庭崩壊は免れています。

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