独居で在宅ケア、50代男性「餃子50個」の深い意味 「思うように最期を過ごす」とはどういうことか

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当たった直後は大喜びだったBさんですが、少し冷静になると「こんな体でコンサートには行けるはずがない」と諦めモードになっていました。Bさん夫婦が抽選に当たってどれだけ喜んだかを知っていた私は、「自費の看護サービスを使えば、私たちもサポートすることができるので行きましょう」と背中を押しました。

保険適用となる医療や看護のサービスには制限があり、こうしたコンサートの外出への付き添いなどは自己負担となります。私のクリニックでは、自費の看護サービスは1時間につき8000円。この時はコンサート会場までの移動を含め、トータルで4時間程度の外出でした。

お金はかかりますが、特に余命が限られたなかでは、きっとそれ以上のものを得られる経験だと思ったので、お節介だと思いながらも「行くべき」だと背中を押したのです。

念願のコンサートへ「夢が叶った」

普段は杖をついて移動しているBさんですが、コンサート当日は車いすを使い、鼻から酸素をつけてスタンバイ。主催者には事前に事情を伝え、会場では車いすでも通れるルートを案内してもらいました。

看護師1人が観客席まで同行し、コンサート中は会場外のロビーで待機。何かがあったらすぐに駆けつけられる体制です。Bさん夫婦はコンサートを心から楽しまれたようで、「夢が叶った」と満面の笑みで話されていました。Bさんが息を引き取ったのは、コンサートから1カ月後のことでした。

のちに奥さまからいただいた手紙に、コンサートに行けたのは「まさに奇跡」とありましたが、あのときに思い切って行動することができて、本当によかったと思います。

患者さん本人や家族が「もし何かがあったら」と考えて躊躇してしまうとき、医療者がそばにいるという安心感によって、願いを実現させられることがあります。たとえ「こんな状態なら難しいかもしれない」と思うことでも、本人が希望することであれば、なるべく実現させるための手助けをすることも、私たちの大事な仕事です。

そうした意味でも、患者さんの“本当のニーズ”を引き出すことは、在宅医の仕事の中で特に重要だと感じています。

例えば「入院したい」という患者さんでも、「本当は家にいたいけれど、家族に迷惑をかけてしまいそうだから、“入院したい”と言ったほうがいいはずだ」と判断してしまう人もいます。家族も本心に気づかないまま、「私たちがサポートするのでは足りず、家で過ごすのが不安なのだ」とショックを受けたりする。家族だからこそ、互いに気を使って本心に蓋をしてしまうことが少なくないのです。

そうしたときも、私たちの出番。互いの気持ちをきちんと聞いて、場合によっては間に入って、時間をかけてコミュニケーションを重ねます。それだけ最後をどう過ごすか、本人の希望をどう実現させられるかは、大切なことだと思うからです。

限られた時間を家で過ごすと決めたからには、その時間をできるだけ豊かに心地よく過ごしてほしいと願っています。結果的に、それが満足のいく最期につながると確信しているからです。

(構成:ライター・松岡かすみ)

中村 明澄 向日葵クリニック院長 在宅医療専門医 緩和医療専門医 家庭医療専門医

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なかむら あすみ / Asumi Nakamura

2000年、東京女子医科大学卒業。国立病院機構東京医療センター総合内科、筑波大学附属病院総合診療科を経て、2012年8月より千葉市の在宅医療を担う向日葵ホームクリニックを継承。2017年11月より千葉県八千代市に移転し「向日葵クリニック」として新規開業。訪問看護ステーション「向日葵ナースステーション」・緩和ケアの専門施設「メディカルホームKuKuRu」を併設。病院、特別支援学校、高齢者の福祉施設などで、ミュージカルの上演をしているNPO法人キャトル・リーフも理事長として運営。近著に『在宅医が伝えたい 「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』(講談社+α新書)。

 

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