NFTを「知ったかぶり」している人が見落とす本質 「8億円のドット絵」を生むNFT売買のカラクリ
考えてみれば、暗号資産としてのトークンも、NFTとしてのトークンも、元をたどれば、0と1で表現されるデジタルデータにすぎません。違うのは、暗号資産が「人間にとって意味のない文字列」であるのに対して、NFTは「人間が目で見て認識できる画像に変換できる文字列」であるという点です。そして、「人間が目で見て認識できる画像」であれば、ちょっとした違いを「人間が目で見て識別できる」ようになります。
このコインとあのコインが「別のコイン」だと見分けられないのとは違って、この画像とあの画像は「別の画像」だと見分けられる。それによって、NFTは同じトークンでありながら、ほかのものとは代替できない「一意性(ユニークネス)」を獲得できたのです。
しかし、NFTを買った人がいくら「この画像は自分のもの」だと主張しても、その画像をほかの誰かが見ることを止めることはできません。画像はデジタルデータなのでいくらでもコピーできるし、そもそも買った人しか見られないとしたら、その画像をインターネット上で販売することはできないからです。そのため、唯一無二のNFT画像であっても、見る分には、ほとんどの場合「タダ(無料)」なのです。
タダで見られるものにお金を払う心理
では、なぜタダで見られるものにお金を払うのか。そこに疑問を感じるとしたら、その人はコレクター心理をわかっていないのかもしれません。
コレクターは「それを自分が持っている」ことに最大の喜びを感じるのであって、別の人が持っていて、頼めばいつでも見せてくれるからといって、「自分はいらない」「ほしくない」と思うようなら、そもそもその人はコレクターではないわけです。
高価な美術品のコレクターも、大枚はたいて購入した美術品を美術館に貸し出したりして、一般の人に公開するケースも少なくありません。なかには自分の屋敷の奥に秘匿して、誰の目にも触れさせたくないというマニアックな愛好家もいるかもしれませんが、せっかく買った自分の貴重なコレクションを多くの人に見てもらいたい、と考える人もいるということです。
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