予期悲嘆とは、「自分にとって大切な存在と、そう遠くない時期に別れなければならないかもしれないと意識したときに現れるさまざまな反応のこと」をいいます。
この予期悲嘆について、あえて考えないようにしているご家族が少なくありません。
「この人がいなくなるかもしれないという、不吉なことを考えることは不謹慎」と、自身の思考を押し込めてしまうからです。さらに、「誰より大変なのは本人なのだから、自分は弱音を吐いてはいけない」などと、自分に鞭を打ちながらケアに専念しようとする家族もいます。
ところが、病状の進行などで、その人がいなくなるという考えが否定できなくなった場合、家族はその気持ちを抑えきれなくなります。その結果、予期悲嘆が強まって、美穂さんのようにさまざまな反応が起こったり、感情があふれ出たりするのです。
初めて心のつらさを訴えることができた
美穂さんの過呼吸は血圧や酸素状態に問題はなかったので、しばらく病院のベッドで休んでもらうと、10分ほどで回復しました。しかし、付き添っていた看護師が「大丈夫ですか?」と声をかけると、泣き出してこう訴えたのです。
「ぜったい治す。病気に負けないって頑張ってきたのに。なんでこうなってしまうの。あの人を私から奪わないで」
看護師は彼女の背中をさすりながら、感情が落ち着くのを待ちました。美穂さんはこのとき初めてずっと押し込めていた「苦悩している人」という側面を解放し、心のつらさを訴えることができたのです。
大切な人との関係性のことを、心理学では「愛着」といいます。愛着は生きるうえでなくてはならないもので、大切な人は”安全基地”のような存在かもしれません。
そのため、人生の安全基地でもある大切な人を失うことへの不安は、「子どもが親とはぐれて迷子になったときの、とてつもない心細さ」に通じるともいわれています。
私自身も、小さいころにデパートのおもちゃ売り場で1人遊んでいたとき、時間になっても誰も迎えに来てくれず、とてつもない不安からパニックを起こし、店員さんが全館放送をかけてくれたことがありました。大切な家族が死につながる可能性のある病気になるということは、それほどの大きな衝撃を与えるのです。
愛着とは、母と子の関係に見られる心の結び付きであり、母親が子どもに感じる、自分を頼ってくれるいとおしさでもあります。その愛着の関係も成長していくにつれて形を変え、家族や兄弟、親しい友人、恋人や配偶者に対して愛着を感じるようになっていきます。
なかでも配偶者に精神的に頼り、相手がいないと自分自身が立ち行かないと感じている人の場合は、愛着の対象である大切な人を失えば、この社会を1人で渡っていくことになります。その人がいない世界を生きていく、とてつもない心細さやさみしさ、悲しみと向き合わなければなりません。
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