西欧に対する「イスラムの怒り」とは? 内藤正典・同志社大学教授に聞く(前編)
だから、言論の場で宗教や神におもねる必要もないので、「涜神の権利がある」ということすら言われる。「シャルリ・エブド」の風刺画にも宗教を題材とするものがある。
ただし、人種や民族や宗教を理由に特定の集団や個人を差別することはフランスでもできない。神や預言者を冒涜しても許されるが、「イスラムを信じる人は野蛮だ」といった女優は罪に問われている。
「シャルリ」はイスラムにとってはヘイトスピーチ
一方、イスラムにとっては、預言者ムハンマドと自分は分かちがたい存在であり、ムハンマドがいたからこそ自分がいる、というほどの拠り所となっている。自分たちのアイデンティそのものであり、母親のようなもの。ちなみに、欧米ではイスラムは女性差別的だということばかり喧伝されているが、イスラム教徒の家庭で、一番偉いのはお母さん。だから、多くのイスラム教徒にとって、預言者を侮辱することは自分を全否定されたと感じ、ヘイトスピーチであり、人種差別であると受けとったはず。
両者は永遠に平行線です。フランス共和国のライシテ原理とイスラム教徒の原理は、協約不能な二つの原理だから、これからも衝突は続く。
不幸なことに、いじめの問題と同じで、フランスの人たちは、預言者を冒涜することがどれほどイスラム教徒を傷つけているかの自覚がなく、執拗に繰り返す。しかし、ここで考えなくてはならないのは、それほどの仕打ちを受けても、フランスにいるイスラム教徒500万人のうち、今回のような事件を起こすのはわずかな人数だということ。
逆にいえば、イスラムはそれほどに寛容な宗教。欧米社会では、イスラム教徒は暴力的だとかテロに走るとか思い込んでいるが、まったくそんなことはない。ムハンマドは商人であり、イスラム教は商人の宗教としての性格をもつ。平和でないと商売は成り立たない。イスラムでは商取引の公正は非常に重視されている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら