新科目「歴史総合」が伸ばす、子の「問いかける力」 これまでの「日本史」「世界史」学習とどう違う?
これには江戸時代の教育レベルの高さに素地があった。よく言われることだが、江戸時代後期の日本人の識字率は世界一だった。
しかも、開国以前の日本は鎖国状態にあったと言われるものの、海外との貿易は活発で、書物などで海外の情報や技術を勉強もしていた。
例えば、当時日本の科学時術の最先端を行っていた佐賀藩などは、1853年にロシアのプチャーチンが長崎に来航した際、戦艦上で蒸気機関車の模型を初めて見て、その2年後の1855年には独自で蒸気機関車の模型を完成させている。
これはほんの一例だが、このような教育レベルの高さの素地があったからこそ、アジアの他の国を尻目に西洋化、近代化を進めることができたわけだ。
貿易大国だった「鎖国」下の日本
ここで「日本は当時鎖国していなかったのか」と思う人もいるだろうから、その点をさらに深掘りしてみると、江戸時代の日本はかなりの貿易大国だったということが見えてくる。
これは私と歴史好き芸人の房野史典さんの共著『面白すぎる! 日本史の授業』(あさ出版刊)に詳しいが、輸出について言えば、当時の日本は膨大な金・銀・銅を海外に流失させていた。
そのため幕府は度々貿易制限を行い、7代将軍・家継の時代には正徳の治で知られる新井白石が「このままではお金の原料がなくなる」とさらに制限を厳しくする長崎新令(海舶互市新例)を出したほどだ。
では、実際にどれほどの量が流出していたかというと、銅に関して言えば、中国(当時は清)で使われていた銅銭の原料の6~8割が日本から輸入した銅に頼っており、それが途絶えると清の貨幣経済が破綻するとまで言われるほどの量だった。
このように教えられたことや歴史の事実に「問い」を立てていく(歴史をどんどん深掘りしていく)と、当時の日本の姿というものが、国を鎖(とざ)していた日本とは別の姿が浮かび上がってくる。
これはまさに歴史を探求する面白さであるとも言えるだろう。
私は常々、「歴史は繰り返す。だから過去に起こった大きな事件や出来事を学ぶことによって、自分の将来や人生に役立てることができる、それが歴史を学ぶ最大の意義だ」と言ってきた。
私たちの経験などたかが数十年、だから想定外のことはいくらでも起こる。中国に古くから温故知新という言葉があるように歴史を知ることは生きるうえで大きなメリットになるのだ。
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