映画『マトリックス』で見えた日本企業の敗因 新しいものを排除しようとする限り成長はない
成長する企業とはどんな企業かと尋ねられたら、私は「Why(なぜ)を考え続ける会社」だと答えます。自分たちが手掛けているビジネスについて、なぜやるのか、なぜ今なのか、なぜ私たちがやるのかといったWhyを無限に問いかけ続けている会社が伸びるのです。
例えばGAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)と呼ばれるメガテック企業には哲学者がいて、Amazonなら「買うとはどういうことだろうか?」、Facebook(現・Meta)なら「コミュニケーションとはなにか?」といったことを考え続けている人がいるといいます。
そのようなWhyを問う議論を重ね、仮説に基づいたトライアンドエラーを重ねてきた結果が、今のGAFAMをつくってきたのではないかと思います。
GAFAMにあって日本の企業にないもの
ところが、日本の会社ではWhyを聞くことはあまり歓迎されません。例えば資産運用会社で、「そもそもなぜ私たちは資産運用をするのでしょうか」と尋ねる社員がいたら、「いいから仕事をしろ」と言われるでしょう。あるいは「あいつは空気が読めない」「面倒くさいやつだ」などと言われてしまうのではないでしょうか。
哲学的な問いやそもそも論のような話をすることの重要性は、日本ではほとんど理解されていないと言っていいでしょう。
映画『マトリックス』は、マトリックスというコンピュータが世界の調和を考えて支配する「完璧な世界」を前提として描いています。この映画が面白いのは、マトリックスという完全なAIがわざとシステムのバグを発生させることによって、つねにマトリックスを不安定な状態にし、その「不安定を安定化させる努力」によって結果的にマトリックスの完全性を担保しているというところだと思います。
私が『マトリックス』を見ていて思うのは、つねにシステムを疑い、システムに対して挑戦をすることによって、システムをリフレッシュし続けていくことがとても重要なのだということです。
これは別の言葉でいえば、「サスティナブル(持続可能)である」ということだと思います。近年はSDGs(持続可能な開発目標)が重視され、企業の成長もサスティナブルであるべきだと考えられるようになっていますが、サスティナブルというのは「システムを否定し続け、そのシステムをアップデートし続ける」ことによってこそ、可能になるはずなのです。
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