「母になったことを後悔」は精神疾患の兆候なのか 子を愛しているが、「母子」を超えた関係求める
それでも、母親による「子供がいないほうが、自分らしく生きられた」という発言は、世間でなぜこれほどまでにタブーなのでしょうか。「母親の後悔について、子供が知ってしまったら、かわいそうだから」というのが一つの理由です。
しかし「本名ではなく仮名で自らの後悔を語る女性」に対しても、同様に「子供がかわいそう」という「反論」が聞かれるのです。仮名であれば、その人の子供は事実を知ることはありません。それでも社会的に声を上げることが許されない背景には、「母親が抱える悩み」への軽視が根底にあるとみられます。
子供が知ったらかわいそうだから
2013年4月、英国人で母(そして祖母)であるイザベラ・ダットンが、子どもを産んだことを後悔しているという記事を公開すると、次のようなコメントが何千通も寄せられた。
「なんて惨めで、冷酷で、利己的な女性!信じられない。この記事を読むことができるはずの彼女のお子さんに強く同情します。」
「ひどいことを告白するものですね。なぜ?自分の胸にしまっておけないの?子どもがかわいそうです。」
この2つのコメントは、ダットンの言葉が子どもに悪影響を与えることに言及しているため、批判の中心は、アイデンティティを隠さずに後悔を明らかにした事実にあるという考え方ができるかもしれない。しかし、子どもに知られないように仮名を使って後悔について公に話し合う母もまた、同様に厳しい批判を受けている。
子どもが母の後悔を知る可能性が排除される場合でさえも、後悔を表明した母が批判されるという事実は、非難の表面下に何か他のものが潜んでいることを意味する。それは、母であることについての旧態依然の「真実」の再確認である。つまり、母の経験の苦痛を表明することは不作法であり、一種の精神障害の兆候とさえ見なされるということだ。(221、222、223ページより)
「母になったことの後悔」を我が子に話さない母親もいれば、あえて話す母親もいます。一人の人間として考えや欲望を持ち、時には失望することもあるということを「母親だから」という理由で子供に話さない状態を「好ましくない」と考えるからです。
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