「母になったことを後悔」は精神疾患の兆候なのか 子を愛しているが、「母子」を超えた関係求める

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現代の女性にはさまざまな生き方があり、いろいろな選択肢があるとされています。子供を持つのも自由、持たないのも自由。けれども着目すべき点は、「女性に選択の自由がある」と謳われながらも、「女性が子供を持つことは自然なことだから」とばかりに産むことを期待されている女性も少なくないことです。

女性には妊娠と出産をする「能力」があるのだから、女性は子供を持つべきだという考えは多かれ少なかれ、世界のどの文化圏にもあります。家族など身近な人からそのようなプレッシャーを受けた女性が実際に妊娠と出産をし、その過程で起こるさまざまな理不尽や大変さについて嘆くと、周囲から「自らの意志で子供を持ったのだから」と咎められることが少なくありません。

女性は選択肢を与えない宿命論者に指図される

しかし社会が女性に子供を持つことを期待しながら、実際に子供を持った女性に対して「あなたは自由に選択したうえで子供を持った」と捉えることは矛盾しています。オルナ・ドーナト氏は次のように指摘しています。

問答無用の仮定によって、解剖学的に生殖できる可能性があるというだけで、女性は母になることを義務付けられているからだ。私たちは他の選択肢を与えない宿命論者の指図によって、支配され、受け身にならざるを得ない。
同時に、もうひとつの対照的な仮定が存在する。それは、すべての女性が母になることを希望し、したがって自由な選択によって母になるというものだ。この仮定のもとで、女性は積極的に、賢明に、合理的に、解放された自由意思をもって、母への道を目指す。「泣き言はやめなさい!自分で選んだ道なのよ---向き合いなさい!」とは、辛さを相談した母親がよく耳にする言葉だ。(31~32ページより)(※下線箇所は原文では太字表記、以下同)

子供が欲しくないと語る女性は、周囲から「やはり仕事のほうが大事なのですか?」と早合点されてしまうことが少なくありません。「子供を持つという女性にとって最も喜ばしく素晴らしい可能性を手放しているのだから、その代替は仕事やキャリアであるに違いない」と世間では考えられているわけです。

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