もちろん、まだ紆余曲折はありうる。ロシアによる化学兵器使用をきっかけに米欧との軍事的な緊張関係が高まれば、軍事情勢が変わる。あるいは、ドイツなどが天然ガスを含めたエネルギー資源の完全禁輸を決断すれば、欧州経済が大きなダメージを受けるので経済シナリオが変わる。これらのシナリオにならないのであれば、ウクライナ紛争が世界経済全体に及ぼす影響は、決定的に大きくならないと思われる。
言うまでもないが、こうした金融市場の見方が正しく、世界的な経済や金融市場への影響が決定的に大きくないにしても、領土が侵略されているウクライナ国民にとっては経済的な被害は甚大である。また、経済制裁を受けながら大規模な戦争を遂行するロシア国民にとっても、紛争が長期化すれば、経済的にはかなりの苦境になる。仮に、北朝鮮のように強権的な政治体制が保たれ他国からの切り離しが進めば、ロシア国民の経済的な困窮度合いは強まる一方だろう。
ところで、ロシアは、2000年代半ばには、先進国とともに世界経済を牽引する有望な新興国(BRICs)の一角として注目された時期があった(その後、南アフリカが加わり、BRICSに)。だが、資源価格上昇のブームが終わると、主たる産業がエネルギーに限られたロシア経済に対する期待は大きく低下した。市場経済の導入が限られるいっぽうで、強権的政治体制が維持された。政治権力と一体化した新興財閥が勃興したが、先進国のように市場経済を通じた創意工夫によって、技術革新を伴った経済成長はほとんど起きなかったと位置づけられる。
資源価格に依存する脆弱な経済状況のもとで、強権的な政治体制と強大な軍隊が保たれた。そして、西欧諸国からの圧力に直面して政治体制が揺らぐリスクが意識されたことが、2014年のクリミア半島への侵攻、そして今回のウクライナ紛争をもたらしたと言えるだろう。市場経済から距離を置いたことで、軍事力とエネルギー資源への依存が強まり、そしてウラジーミル・プーチン政権は自らの体制を維持するために蛮行に踏み切ったようにみえる。
「市場経済懐疑論」や「脱経済成長論」の危うさを問う
歴史に「if」(もし)はないが、ソ連が崩壊した1990年代以降、仮にロシアが、市場経済導入を進める政治経済体制となっていれば、今起きている悲劇は起きなかったかもしれない。月並みではあるが、今回のウクライナの悲劇の教訓の一つは、市場経済を重視し自由な経済成長を促進する政治経済体制を有する国が増えることが、軍事紛争を含めた地政学リスクを低下させるということではないか。
歴史をさらに振り返ると、1970年代まではアメリカと覇権を争ったかつての大国ソ連は、共産主義の行き詰まりで1990年前後に体制崩壊に至った。ソ連は、アメリカとの体制間競争に負けたのは、1950年代以降、アメリカなど西側諸国が資本主義経済のもとで経済成長を遂げたいっぽうで、共産主義政権のもとソ連経済が衰退したためである。計画経済を追求したソ連は1970年代以降、物不足と社会不安が広がった。
当時のソ連経済の衰退については、気鋭の経済学者である柿埜真吾氏の著書『自由と成長の経済学』(PHP新書、2021年8月)において、具体例や経緯が紹介されている。同書ではソ連の失敗などを挙げながら、最近一部で流行している、市場経済懐疑論や脱経済成長論を批判的に論じている。市場経済を通じて経済成長を促すことが重要であり、自由を前提にする市場経済や経済成長を否定する言論の危うさを再認識できるので、幅広くお勧めしたい。
(本稿で示された内容や意見は筆者個人によるもので、所属する機関の見解を示すものではありません)
(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)
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