第1に、いくつかの国の若い世代は、ベビーブーマーら(第2次世界大戦終結から1960年代初頭までに生まれた人々)の下した決断に怒りを感じている。
彼らの考えでは、それらの決断のせいで今自分たちは教育も住居も手に入らず、収入の見込みも不安定だからだ。言いかえれば若者らは、今生きている世代間のリソースやチャンスの配分に不満を抱いているのだ。
第2に若者たちは、前の世紀から受け継がれた決断の影響を心配している。
それらの決断は地球の未来を左右するものだ。これは、それまで生きてきた者とこれから未来を生きていく者(そこにはまだ生まれていない者も含まれる)とのあいだでリソースやチャンスをどう配分するかという問題だ。
家庭の中に見られる世代間の社会契約
これらの心配はどちらも、社会契約を通じて調停される。
家庭の中では、世代間の社会契約は容易に理解できる。親は子どもに、いい生活を送る能力と手段を与えたいと望む。一方で子どもは、親が快適な老後を送ることを望む。親はもしできるなら、子孫にもっと広い可能性をもたらすために何らかの種類の遺産を与えるかもしれない。
ひるがえって子どもは、親が年をとったときにしばしば介護や支援をしたりする。もちろん、子どもに負の遺産を残したいと望む親はいない。
親の借金の責任を子が負わされるという習慣は、古代メソポタミアや封建時代のイギリスには存在していたが、今は世界中で禁じられている。
社会的なレベルでは、世代間の社会契約はもっと複雑だ。私たちが未来の世代に残す遺産には、複数の局面がある。知の集積。文化。発明。インフラ。制度。自然界の状態などだ。
現在の、そして未来の世代は、非常に多くのものを先祖から負っている。先祖が教育に投資をし、テクノロジーを発見し、組織や企業をつくり、富を生み出したからこそ、そして時には戦争をし、国としての独立や自由を勝ち取ってきたからこそ、今の私たちがある。
さらに、おおかたの人々は自分たちが、けっして会うことのない未来の世代に何かを負っていることに、また、各世代は次の世代を、少なくとも自分たちと同じ程度の──望むらくは自分たちよりも上の──暮らしができるようにしてやるべきであることに、同意するだろう。
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