アントニオ猪木「ソ連に仕掛けた闘魂外交」の裏側 あのモハメド・アリ戦はKGBでも「伝説」だった

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この日、チョチョシビリに腕を攻められた猪木は柔道着に噛みついた。手が使えなければ、口がある。試合のルールに柔道着に噛みついてはいけないという項目はなかった。というより、事前にそんな〝攻撃〟を想定する人間はいないだろう。この発想力が猪木の魅力だ。そのシーンは、まるでストップモーションのように私の脳裏に焼き付いている。

そして、最後は猪木がチョチョシビリの裏投げ3連発を浴びて、異種格闘技戦で初めて黒星を喫した。かつてウイリエム・ルスカをバックドロップ3連発で倒した男は、十分に歳を重ねていた。私は、このチョチョシビリ戦が1回目の猪木の引退試合だと今でも思っている。

猪木が秘密警察のホテルに泊まった日

ところで、猪木はソ連に行った際、KGB(秘密警察)のホテルに泊まったことがあるそうだ。

このKGBでもアントニオ猪木は伝説の男だった。やはりモハメド・アリと戦ったことは、ここでも威力を発揮していた。格闘技はKGBの中では絶対的なもので、彼らの猪木に対する憧れは増幅していたようだ。猪木がKGBの養成学校を訪ねたときも、選ばれた人間である生徒たちは神様でも見るような目で猪木の質問に答えていたという。

1989年11月9日、ドイツを東西に分けていたベルリンの壁が崩壊する。そんな中、猪木は大阪城ホールでのチョチョシビリとの再戦を経て、12月にモスクワのレーニン運動公園内にあるルイージニキ室内競技場でソ連初のプロレス興行を開催した。

「トイレットペーパーは日本から持って行ったほうがいいですよ。向こうに、ピンクの固いのはありますけれどね」

同行取材に出発する前に、馳浩からそう言われた。グルジアに行った時に難儀したのだろう。

モスクワのシェレメーチェボ空港に着くと、パトカーの先導付きでホテルに案内された。市内の移動も、会場への移動も、すべて同じように先導してくれる。

選手たちと一緒に街中に出ると、ルーブルが価値のない時代で土産物店ではUSドルしか受け取らなかった。

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