アントニオ猪木「ソ連に仕掛けた闘魂外交」の裏側 あのモハメド・アリ戦はKGBでも「伝説」だった

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1989年4月24日、『格闘衛星闘強導夢』と銘打たれた初めての東京ドーム大会は5万3800人の大観衆を集め、ここから日本で「ドームプロレス」が始まる。それと同時に、この大会は猪木の「環状線理論」を証明するイベントになった。

「プロレスファンだけだと、ドームは埋まらない。それは環状線の内側にいる既存のファンしか見えていないからだ。その輪を外に広げれば、そこには多くの観客がいる。それをどう引き込むかを考えろ」

朝刊スポーツ紙も、この東京ドーム大会を大きく報じた。

チョチョシビリ戦は1回目の猪木の引退試合

当日、猪木はノーロープの円形リングで1972年ミュンヘン五輪の柔道93キロ級金メダリスト、ショータ・チョチョシビリと対戦した。

これには、ちょっとした逸話がある。偶然だが、私はアエロフロート機内でモスクワまで猪木と一緒になった。猪木はグルジアに向かう途中で、私はイタリアでサッカーの取材だった。

幸いファーストクラスにいる猪木の隣の席が空いていたので、私はそこに座り食事の後に雑談をしていると、プロレスのリングの話になった。

「リングだから、語源は元々は〝円〟でしょう。大昔のボクシングだって、街のケンカだって、丸い人垣の中で戦っていた。その後、見せるためにロープを張る必要があってリングは四角になった。六角形や八角形のリングは作れても、ロープを円状に張ることはできないですよね」

私は猪木に、そんなことを言った。

アマチュアレスリングも戦いのスペースは円で、相撲の土俵も円だ。「円状にロープを張ることができないなら、取ってしまえばいい」というのは猪木の発想だったのだろう。

こうして、ノーロープの円形リングは出来上がった。4本の鉄柱はカバーで覆われていた。ロープのないリングは、プロレスよりも柔道の試合場に近い。猪木はあえてチョチョシビリに有利な条件を提供したことになる。

そこには戦いの原点があるようにも思えた。後にUFCでオクタゴンと呼ばれる八角形の金網を張ったリングも生まれたが、猪木は金網だけは受け入れなかった。「金網は表情がお客さんから見えないから」というのが理由だった。

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