ぼくは、それらを全てお断りしたのである。なぜかといえば、それ以前に芸能界で仕事をしていた中で、「自らの二番煎じ」をして、前作以上の評価を得た人を見たことがなかったからだ。いや、それ以上に、評価を下げた人なら数多く見てきた。自らの二番煎じをした人は、ほとんどの場合で、それが人気急落のきっかけにもなっていた。
仕事は断る方が難しい
本に限らず、あらゆるコンテンツは「出せばいい」というものではない。出し過ぎると、「粗製乱造」というイメージを抱かれ、かえって売れなくなってしまう。そのため、それだけは避けようと、『もしドラ』を出す前から固く心に誓っていたのだ。
そうして、それらの仕事は全てお断りした。若い頃、仕事がなくてさんざん苦労してきたぼくにとって、それは文字通り「断腸の思い」だった。その頃はまだ、『もしドラ』も出始めたばかりでどれほど売れるか分からなかった。「ここで断ると次はないのではないか」という不安も大きかった。
それでも、その中で何社か「『もしドラ』とは違う企画でお願いしたい」という方々がいらして、彼らとは友好的な関係を築くことができた。その中からいくつかのヒットも生まれたので、このときの選択は間違っていなかったと思っている。
しかしながら、一歩間違えばそうした依頼を断れず、粗製乱造をくり広げ、イメージを際限なく下落させていたかもしれない。そう考えると、今でも背筋が寒くなる。ぼくはそこで、以下のような教訓を得たのだ。
「仕事というのは、貰うより断る方が難しい」
そうこうするうちに、『もしドラ』はベストセラーの階段を駆け上がっていく。半年が経過した2010年の春頃には、50万部にまで達していた。すると、そこで新たに待っていたのは「マスコミの取材攻勢」だった。ぼくは、その荒波に否応なく巻き込まれていくこととなった。(つづく)
撮影:相澤心也
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