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■日本の長文テストが駄目な理由

2000年にOECD(経済協力開発機構)が教育の見直しをしたんです。

OECDはグローバルな人材を育てるための教育の方針を3つ立てた。そのうちの1つにコミュニケーション能力があります。まさに合意形成。たとえば「開発途上国VS先進国」という状況で、どういうふうに合意形成するか。そのために、最も重要なのがコミュニケーション能力です。

具体的に言うと、試験問題がこれまでとは違うんですよ。

日本の長文テストでは、「著者がここで言いたいことは何ですか」という問題が出ます。でも、私も自分の著作が問題に使われたことがありますけど、著者が本当に何が言いたいかなんてわからないですよ。だから、OECDのテストでは、「著者が何を言いたいか」を一義的に決めるっていうことをまずやめる。

代わりに、「著者がここで、こう主張しているとすると、それは文章のどこからわかるか、なぜそう言っているのか」という設問を立てるんです。相手の言いたいことを見抜く能力がないかぎり、インターナショナルなコミュニケーションはできない、というのがOECDが2000年に出している方針なんです。

つまり、「What(何を言っているか)」ではなく「Why(なぜそう言っているのか)」を考えることで、初めて相手の本音が見えてくる。イスラエルとパレスチナでさえ、Whyを5回言えばいいんですよ。普通は、3回Whyを言えば互いの共通点が見つかるはずなんです。共通のプラットフォーム見つければいいんです。

構造的に、どこでプラットフォームをつくるか。それが戦略なんです。個々のメンバーがつくるプラットフォームには、若干の差がきっとあるんですよ。その人達はなぜ差があるかと言うと、何を目的とするかという価値観や優先順位が違うからです。

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