「TOTOトイレ開発100年」が日本人を変えた! いつから座ってお尻を洗うようになったのか

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 日本のトイレはもはや排泄するだけの場所ではない。日本人の「清潔好き」と「技術力の高さ」が相互にトイレ環境を磨き上げ、独自の発展を遂げ、かつてない高みに到達している。この特集では、日本のトイレ文化が世界にもたらす未来について、5日連続で紹介していく。3日目は、洋式便器を初めて国産化したTOTOにトイレ開発100年の歴史を伺う。
1日目「日本のトイレは排泄するだけの場所じゃない!」はこちら。
2日目「81歳創業者はなぜトイレを素手で磨くのか?」はこちら。
TOTOの最新型「ネオレスト」(左)と「ウォシュレット」(右)

「和式」と「洋式」が逆転したのは1977年

フタが自動で開く、座ると便座は当然のように温かい、立ち上がると自動で水が流れる、離れると自動で脱臭する──。日本のトイレ環境は、いつの間にか最高峰に上り詰めているのではないだろうか。

この快適さに慣れると、あたかも最初から至れり尽くせりだったように錯覚するが、実はここに至るまでには長く険しい道のりがあった。

「TOTOの和式便器と洋式便器の出荷台数が逆転したのは、1977年。37年前はまだ和式便器が半分でした。長い年月を経て、じわじわと日本人の生活スタイルが変わっていったのです」と、同社広報部の桑原由典さんは話す。

国産初の「水洗腰掛け便器」

日本で初めて洋式便器(水洗腰掛け便器)を国産化したのは、TOTOの初代社長となる大倉和親氏とその父・孫兵衛氏。1914(大正3)年のことだ。100年前に洋式便器が日本にあったのは意外である。

「国産化したのが早すぎるぐらいで、ほとんど普及していません。あくまでも帝国議会議事堂や高級ホテル、富裕層の洋館などに設置されていた程度。一般家庭や企業、学校はずっと和式が主流でした」

それまで和式で事足り、特に不都合を感じていない日本人に、洋式がいかに座って楽かを説いても、「しゃがむので十分」と拒絶されてしまう。そもそも日本の生活スタイルにはイスの文化がなかった。畳の上に座ってちゃぶ台でご飯を食べ、食べ終わったらちゃぶ台を片づけて、布団を敷いて寝る。どこにも腰掛けるというスタイルがない。

なじみのないスタイルに加えて、洋式便器の使い方がわからない。「たとえばiPhoneなら使っている人が周りにたくさんいるので、目にする機会が多く、どのように便利かがわかります。しかし、トイレは個室で使うもの。使い方は人それぞれで、ほかの人がどう使っているのかわからない。だから自分が使い慣れていないトイレを目の前にすると、戸惑ってしまう」。

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