残したけどな、不味くて残したんやない

松下が大事にしていた思いやりの心

彼は「こういうことを言ってあげるのが、シェフのためになるんです」と言うが、そうかもしれないが、ほかのお客様もいる中で、言うならば、小声で言うとか、別のところに呼んで、言うとか、もう少し思いやりがあってもいいのではないかと思った。

コックさんを呼んでくれや

ホテルは違うが、やはり有名なレストランに、82~83歳の頃の松下と出かけたことがあった。もう、80も過ぎていたこともあって、というより、もともと食の細かった松下には、十分すぎるほどの料理であった。もちろん、40代の私は、全部、食べきったが、松下は、半分以上食べ残した。

すると、松下が、私に、「この料理を作ったコックさんを呼んでくれや」と言う。言われるままに、ウエーターに伝えると、料理長が、白く長い帽子を取って手に持ち、「なにか……」と尋ねると、松下が、

「あんたに、謝ろうと思ってな。この料理、おいしかった。おいしかったけどな、わしはもう80や。よけ食べられへんのや。こうして、残したけどな、不味くて残したんやない。おいしかったけど、そういうことで、残したんで、気ぃ悪せんといてな」と言った。

料理長は、恐縮しつつ、感動した様子だった。この頃、外部で食事をして、食べ残したとき、料理長や、店のご主人を呼んで、そういうことを松下が言っていたという話を幾人かから聞いたから、私のときだけではない。残したときにはどこでも松下はそこの責任者に、そう言っていたようである。

昭和40年代の初め頃には、日本の家庭には、炊飯器がひとわたり普及していた。そこで、松下電器の炊飯器事業部では、学校や病院の給食、将来の外食産業の需要を見越して、業務用炊飯器の開発に着手し、試作品を完成させた。

一度に大量のご飯が炊けるのはもちろんのこと、フタも軽く、ハンドルひとつで炊き立てのご飯を取り出すことができ、水洗いも簡単にできるというものであった。

炊飯器事業部の技術者たちは、その試作品を持って、本社での役員会に臨んだ。開発の狙い、新製品の特徴などについて熱のこもった説明を行ったが、役員たちの反応はもうひとつと言うか、むしろ冷ややかなものであった。昼夜兼行で、懸命に試作品を作り、それなりに自信をもっていた技術者たちの落胆の思いは察するに余りあろう。

やがて昼食の時間になり、配られた幕の内弁当に、試作品で炊いたご飯が試食のために添えられていた。皆が、無言で弁当を食べ終わったとき、ただひとり松下幸之助が、「このご飯、おいしいな。もう一杯おかわりくれんか」と言った。

松下の一言で、試作品に携わり、説明に来ていた技術者たちは感動し、心の中で泣いたという。

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