まずお母様の立場から考えてみたいと思います。人はどんなに優秀だと言われている人でも欠点のない人はいません。まして凡人でしたら欠点だらけです。
まき様のお母様は随分厳しい育てられ方をされ、その厳しさから逃れるようにして、お父様と結婚されたそうですね。厳しさの内容にもよりますが、相当心に余裕のない生活だったことが想像され、結婚生活も別の意味で精神的余裕のないものでした。「女の子だから」と昔ながらの厳しい、時に過酷な育てられ方をしたので、娘にどう優しく接したらいいのかわからなかった可能性もあり得ます。
それを考慮しても確かに、お母様の貴女に対する行為は到底、正当化できるものではありません。が、優しくされた経験のないお母様ゆえに、最初の子である貴女への愛情表現がとても歪んでいたり不器用だったとしても、それが母親の真意ではなかったと、今の貴女なら理解して差し上げることはできないでしょうか?
私も含めて多くの親子間では、言ってはいけないことも口から出任せですが、それが真意でないことを理解しあうのも親子だと思うのです。
育児は子供の可愛さに気づかぬほど忙しい
私にはまだ孫がいませんが、兄たちの孫をみているだけでとても可愛く幸せな気分になります。幼い子供って、こんなに可愛いかったっけ?と驚かされることの連続です。祖父母になった人たちは皆、「自分の子は育てるだけで必死だったけれど、孫は責任が伴わないから(心に余裕があるから)可愛さが実感できる」と言います。
確かに多くの人にとって子育ては責任を伴う分、ゆとりを見失いがちで失敗ともセットなのです。その可愛さとゆっくり付きあう間がないほど、忙しかったという人は多いです。ましてやまき様のお母様の置かれた環境でしたらと、お母様は間違ってはいましたが、同じ母親の立場として同情の念も覚えます。
私は今隙間時間を利用して、断捨離として昔のアルバム整理をしています。30冊以上ある昔のアルバムは一冊が1.5㎏あり、それを今風の簡易軽量のファイルに入れ替えているのです。完成すれば従来の5分の1程のかさに収まる予定なので遣り甲斐のある作業なのですが、なかなか前に進みません。
といいますのは幼い子が誰もそうだったように、我が家の子たちも今の姿からは想像するのが難しいほど、当時は可愛かったことの「発見」の連続で、親戚の孫をみているような新鮮な驚きが30冊にぎっしり詰まっています。写真をみても、一緒に私も入っているのに記憶にないものばかりです。いかに当時が忙しかったことか!
こんなに可愛い子たちを、ぎゅっと抱きしめる間もなく、じっくり話を聞いてやるでもなく、時間と競走して育てたことに、後悔と反省と子供たちへの申し訳なさでいっぱいになり、作業の手が止まるのです。まき様のお母様も、今はこのような心境ではないでしょうか。
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