中国から撤退する日本企業も多い中、その逆に、現地では、中国に「出戻り」する企業の話を聞くことも多い。彼らはなぜ、わざわざ撤退したところに戻って来るのか。その理由を探ってみると、チャイナプラスワンのもう一つの選択肢が見えてきた。
まずは2つの「出戻り」事例を紹介したい。ひとつが、アパレルメーカーA社の例。この会社は、2000年頃の進出ブームの中、中国に進出。着実に業績を伸ばしてはいたが、人件費の高騰やいわゆる“チャイナリスク”の高まりから2年前に撤退を決断した。
その後、ミャンマーやベトナム、インドネシアなどを候補に東南アジアへの進出を検討したが、インフラや人材の面で問題があり、やはり中国への再進出を検討することになった。しかし、その頃には、すでに以前の自分たちのポジションは有力な中国ローカル企業に押さえられ、再進出も難しく、手詰まりの状態になっている。
もうひとつが自動車部品メーカーB社の例だ。こちらも以前から中国で活動していたが、5年前から、いわゆる「チャイナプラスワン」を考え、東南アジアへの進出を模索。インドネシアに進出したものの、そこは思い通りに立ち上がらず、中国をさらに強化することになった。同じ中国でも、まだ人件費が抑えられる、少し内陸の安徽省合肥に工場を建設し、ここを核に事業再編を進めている。
チャイナプラスワンが行き詰まる事情
「ディスプレイやアパレル、自動車などでは、原材料から市場まで、中国国内でバリューチェーンがほとんど完結しており、その一部分を切り出して中国以外に持っていくメリットは実は薄い。そのため、他の国に行こうと考えても、結局、離れられない企業が多いのです」と、ある商社の社員は解説する。
事業によっては、原材料、市場、必要な部品など、複雑に入り組んだバリューチェンが中国の中で形成されていて、それらが同時に他国に行くのならいざ知らず、その一部を担う企業が単独で他国に移転するのは極めて難しい事情がある。
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